今年9月、「聖人」に列したマザー・テレサの感謝ミサが5日、東京都千代田区の聖イグナチオ教会で行われた。参列した約750人は、マザーの列聖を心から喜び、感謝のミサをささげた。
マザー・テレサは、「神の愛の宣教者会」を、「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのない全ての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」ことを目的に、1950年に設立した。1979年にはノーベル平和賞を受賞。1997年、コルコタで帰天。そして、今年9月4日、教皇フランシスコによって列聖式が執り行われ、聖人であることが宣言された。生前、マザーは、1981年、82年、84年に聖イグナチオ教会を訪れている。
この日、感謝ミサの司式を行ったのは、片柳弘史神父(カトリック宇部教会主任司祭)。片柳神父は、コルコタのマザーハウスでボランティアをしているときに、マザー・テレサに諭されたことがきっかけで、神父としての道を歩む決心をした。
説教の冒頭、マザーがとても大切にしていたという聖書の言葉を紹介した。
「シオンは言う。主はわたしを見捨てられた わたしの主はわたしを忘れられた、と。女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも わたしがあなたを忘れることは決してない。見よ、わたしはあなたを わたしの手のひらに刻みつける。あなたの城壁は常にわたしの前にある」(イザヤ49:14~16)
「神様は、私たち一人一人を愛しておられ、決して忘れることはない。1匹の羊と99匹の羊の話のように、一見、不合理で損だと思われるが、この1匹の羊が、今、どれだけ心細いかと考えると、居てもたってもいられないという心こそが神様の愛なのです。私たち一人一人がこの1匹の羊であり、神様は私たちを一人一人欠けることなく愛してくださっているのです」と片柳神父は話した。
マザー・テレサの生涯は、まさにこのような人生であった。社会の片隅に追いやられ、誰も見向きもしないような人々の所に出向き、そのような人たちの中にこそイエス様はおられると証ししていた。貧しい中でも最も貧しい人たちに寄り添うことこそ、神から与えられた自分の使命だと生涯をかけて奉仕に当たった。そして、「神様の慈しみは、貧しい中でも最も貧しい人の中にある」とマザーを通して、神は私たちに教えてくださっていたのだ。
片柳神父が、少年時代、貧しい国の人々が食糧や水が足りなくて、次々に亡くなっていく様子をニュースで見て、「日本には、こんなにたくさん食べるものがあるのに、なぜ誰も助けに行ってあげないのだろう」と不思議に思っていた。その後、テレビに映るマザー・テレサを見て、衝撃を受けたという。「こんなすごい人が世界にはいるんだ!と思いました。苦しんでいる人に手を差し伸べるという当たり前のことを実践している人がいることに、衝撃を受けたのです。その日からマザーを通して、神様の愛をしっかりと感じ、忘れることはありませんでした。苦しんでいる人がいたら、『放っておけない』。これが、神様の慈しみであり、マザー・テレサの生涯でした」と話した。
苦しんでいる人がいたら「放っておけない」という心は、キリスト教徒ではなくても、誰の心にもあるのではないだろうか。片柳神父は、「これこそ、私たちの心にまかれた『神の愛の種』なのです」と話した。
この「神の愛の種」を押しつぶすような思いが私たちの心に芽生えてくることがある。それは、「無関心」「利己心」「諦め」ではないかと片柳神父は言う。ニュースなどで、紛争や飢餓で苦しんでいる人々を見ても、「どうせ私には関係ない。募金をしても、私だけ多くお金を出すのは損ではないか。どうせ、私だけやっても何も変わらない」という心がそれに当たるというのだ。
「かわいそうだ」と思ったら、神様だけをまっすぐに見つめ、その気持ちに純粋に実行していくことこそ必要なのだ。「これこそ、神様の慈しみを生きるということなのでは。マザーは、まさにそのように生きた方だった。私たちが生きる20世紀、21世紀でも、そのように生きることができるのだと教えてくれた」と話し、説教を締めくくった。(続きはこちら>>)