クリスマスが近づくこの時期、多くの教会学校やキリスト教系の学校では「降誕劇」を上演する。また、「クリブ」と呼ばれる降誕場面を再現した人形や、絵画などを飾る教会も多い。
来年、創立70周年を迎える日本ナザレン教団五井教会(千葉県市原市)では、毎年、「クリスマス折り紙シアター」が飾られる。同教会ホールの入り口には、「マリアの受胎告知」の絵があり、順番に8枚の作品でストーリーが完成する。これを制作したのは、教会学校に43年間教師として奉仕し、一昨年80歳の誕生日を機に教師としての一線から退いた同教会員、根本晃子さんだ。
根本さんは、三重県伊勢市で生まれ育った。5歳になると、当時は珍しいといわれていた幼稚園に入園。初めて折り紙に出会った。「幼い頃から、折り紙は大好きでしたね。もう70年以上も前のことですが、当時の幼稚園の先生が上手に教えてくださったのだと思います」と話す。
小学校に入学したのは1939(昭和14)年で、翌々年の41年には、太平洋戦争が勃発。根本さんが小学校2年生の時だった。朝から晩までラジオからは、「皇国の興廃、この一戦にあり・・・」といった物々しい声が聞こえてきたのを、今でもはっきり覚えているという。
折り紙が大好きだった根本さんだったが、戦況が悪化すると、徐々に家から物がなくなっていった。紙も貴重品になり、手に入らなくなっていった。折り紙はおろか、学校に持っていくノートさえなかったという。
毎日のように、「ノートが欲しいよ」と泣く根本さんに、父親は新聞の文字が書かれていない余白の部分をきれいに切り取ると、それを糊で貼り合わせ、ひもでとじてノートを作ってくれた。「昔の人は、どんなものでも無駄にせず、考えたものです」と話す。
終戦が近づくと、米軍の飛行機は伊勢の街にもやってきた。根本さんが住んでいた街のすぐ近くには、工場の大きな煙突があった。「おそらく、その工場を狙ったのでしょうね。毎日のように空襲がありました」。今もその時のことは頭を離れないという。
間もなく終戦を迎え、10年ほど経った23歳の時に兄弟らと共に受洗。クリスチャンになった。現在の夫とは、牧師の紹介で知り合い、「賢い妻は主からいただくもの」(箴言19:14)とプロポーズの言葉を受けて、お見合いしたその日に結婚を決意した。やがて子どもを授かり、根本さん、長女、次女共にキリスト教教育を行う幼稚園に勤務することになった。
この「折り紙シアター」は、約14年前に作ったものだという。簡単な部分は教会学校の子どもたちに折ってもらい、折り方が難しい部分は、根本さんと次女が一緒に作った。「あの頃は、教会学校にも30人から40人くらい来ていましたから。たくさんの子どもが手伝ってくれましたよ。それでも、完成するのに1カ月近くかかりました」と懐かしむ。
現在、同教会学校も他の教会と同じく、子どもの数が激減。教会学校存続の危機が訪れている。今年3月には、59年続いた同教会付属幼稚園が閉園したが、それまでの14年間、この「折り紙シアター」は毎年ホールに飾られ、子どもたちの目を楽しませてきた。小さな手で「これは、お腹の大きなマリア様?」「これは、赤ちゃんのイエス様でしょう?」と触りながら、時折、先生やお友達同士で話す園児の姿もあったが、破れたり、壊れたりしている箇所は一つもない。
この折り紙、細部をよく見てみると、綺麗な折り紙だけでなく、広告の裏、ケーキやお菓子の包装紙なども使われている。「物のない時代を通ってきた私たちにとっては、何でも工作の材料になってしまうのです。今は、100円ショップなどで物が手に入る時代ですが、それでも、簡単に物を捨ててはもったいない。使えるものは使わないといけませんよ」と話す。
西洋の素敵なクリスマスツリーやクリブも良いが、日本古来の折り紙で表現したイエス様のご降誕。園児たちの姿はなくなってしまったが、今年もまた変わらず同教会のホールを彩っている。