現在、世界ではさまざまなNPO(非営利団体)が活動している。その活動は、国や企業などでは満たせないニーズを満たすためといってもいい。しかし、そうしたニーズは多くの場合、さまざまな問題を抱えている。ミャンマーとベトナムを中心に活動しているNPO法人「ブリッジエーシアジャパン」で働く、クリスチャンの押村友里子さんに話を聞いた。彼女は現在、ベトナムの伝統と環境を守りつつ、現地住民の収入を安定させ、生活を豊かにすることを目指すプロジェクトに従事している。
近年、経済発展が著しいベトナムだが、その陰には、困難を抱えて生活している人々がまだ多くいる。また、宗教の自由は憲法で保障されてはいるものの、メディアは国家から監視を受け、宗教の自由も法的に制限があるという。NPOとして活動するためにも、特定の宗教に偏らないことが条件として定められている。そんな環境で活動している彼女だが、「重要なのはクリスチャンと名乗ることではなく、クリスチャンとして行動すること」という信念を持っている。
もともと、「あまり人が得意ではなかった」と言う友里子さん。先祖代々神道の家庭に生まれ、親戚は神主、神社がごく身近にあるような環境で育った。長女である友里子さんは、小さい頃から「いい子として振舞わなければ」というプレッシャーを感じ、「そのままの自分を受け入れてほしい」「愛されたい」という思いを心の中に抱いて育った。高校卒業後、米国の大学に進学し、アルバイトをしながらビジネスを専攻し、主にマーケティングについて学んだ。
神道の家系であっても、友里子さん自身が「八百万(やおよろず)の神々」を信じていたわけではない。そのため、留学時は自身のアイデンティティーを説明するのに苦労したという。「日本以外では、『信仰を持つ』ということは当たり前のこと。友達と話していて、自分自身の中に何か“足りないピース”があることを自覚するようになりました」と当時を振り返る。
そうして米国で生活すること2年。アルバイトも学業もうまくいかなかった時期に教会に誘われ、それがきっかけでクリスチャンとなった。その教会は、一般的にイメージされる「閉鎖的な教会」ではなく、集まる人々の温かさに触れて彼女は徐々に心を開いていった。そして、クリスチャンとして神との関係を築こうと決心したとき、それまで感じていた自分の中の“足りないピース”が埋まったという。
子どもと関わるNPOで働きたいと思うようになったのは、大学在学中にフィリピンに行ったことがきっかけだった。当時、友里子さんは教会のキッズチャーチで奉仕をしており、そのチームの牧師に誘われてフィリピンに行った。「昔から子どもは好きだったけど、母が保育士でした。母のことは尊敬していても、同じ道を歩みたくないという思いがどこかにありました」と友里子さん。しかし、フィリピンの孤児院やスラムで日々子どもたちと接するうちに、心の中にあった余計な思いがなくなっていったという。
「海外で生活をして、日本の閉鎖的な空気を再認識した」と言い、帰国後も日本の外へ出たいと願っていた時期もあったが、経済的に発展した日本だからこそできることも多いと考えを変え、日本のNPO法人であるブリッジエーシアジャパンで働くことを決めた。
ベトナムで働く際、クリスチャンと名乗れない環境については、「団体の一員として行く以上、事業に支障を来すことを神様は望んでないと思います。最初はショックだったけど、『言葉で表せなくても、できることはある』と神様は語りました。だからこそ、口も体も全て神様に適切に使ってもらおうと決断しました」と、現在の心境に至った経緯を明かす。
友里子さんが今、取り組んでいるのは、貧困農家の支援と子どもたちの教育。ベトナムは伝統的に冠婚葬祭を豪華に行う風習があるが、多くの場合、それに見合う十分な経済的ゆとりがあるわけではない。そうした場合、農地を売却して一時金を捻出するという苦肉の策をとることが一般的に行われているが、彼女が担当するベトナム中部にあるフエ市郊外の農村部では、土地の開発制限があることにより農地を売却することが容易でないという。その結果、住民は高利貸しに手を出さざるを得ず、それを繰り返して多重債務に陥るといった問題を抱えていた。しかし、伝統的な冠婚葬祭などの行事は経済的理由でやめられるものではなく、こうした現地の伝統や文化を尊重しつつ、課題に取り組まなければならない。
また、フエ市郊外の地域では農業と畜産業を兼業する住民が多く、それを続けていきたいという彼らの思いを理解する必要もあったという。以前は家畜のふん尿が垂れ流しにされ、衛生状態が悪く、悪臭による住民同士のトラブルも絶えなかった。そのため、ブリッジエーシアジャパンは、家畜のふん尿から可燃性のガスを取り出す「バイオガス・ダイジェスター」の導入支援を始めた。これにより、ふん尿は全て豚舎に直結した溝から発酵槽に流れこむよう設計され、そこから発生したメタンガスは家庭の燃料として利用されるようになった。さらに発酵させた後のふん尿の残りは堆肥として、上澄み液は液体肥料として、有機農業の実現に向けて活用されることとなった。
この結果、それまでたきぎなどの燃料を入手するために使っていた時間を、農作業や副業に使えるようになり、基礎収入の向上や農産物の品質向上など、さまざまな成果をもたらしたという。また、持続的に環境を守るには大人だけでなく、次世代の教育も必要不可欠と考え、地域の子どもたちに向け「環境教育活動」を行っている。
支援の在り方はさまざまだが、「お金や物を渡すだけの支援や、単に“私たちが何かをやってあげる”だけの支援にならないよう、注意する必要があると思います」と、友里子さんは語る。ブリッジエーシアジャパンでは、現地のニーズを見極め、将来的に地元住民が自らの手で生活を守っていけることを視野に入れ、「住民参加型」という形態を基本として支援を行っている。
今後も未来のベトナムを担う次世代のために活動したいと願う彼女は、「神様の愛を知ったからこそ、神様が誰かのためにやってほしいと願っていることを、すぐに行動に移せる自分であり続けたい」と語った。6月からは、ベトナムの子どもたちが地域のために立ち上がる新しいプロジェクトも始まるという。詳細は、クラウドファンディングサイト「READYFOR」のプロジェクトページ、またはブリッジエーシアジャパンのウェブサイトまで。