2009年12月に私は脳梗塞を発症し、3カ月間入院、短期集中的リハビリを受けました。その後も日常生活の中で今も続けているリハビリの経験が、聖書をメガネに医療現場や医療教育を見る私たちの課題を追求する際、医師による治療ばかりでなく、リハビリの幅広い営みを視野に入れる大きな助けとなっています。
脳梗塞を発症後一晩明け、左半身マヒでベッドに横たわる自分を丸太のイメージで受け止め、人間・私・からだと深く自覚しました。その私に対して、三重のリハビリが始まり、日々継承されたのです。
言語聴覚士は、音しか出せない舌を手で導くところから始めて、ことばへと導く。マヒした左手を、毎日約1時間、文字通り一対一で作業療法士はリハビリを続け、左手の指一本が1ミリ動いた瞬間から新しい出発。さらに理学療法士のたゆまぬ指導で、杖を突きながら自分の足で歩めるようになる喜び。
こうしたリハビリの豊かな内面を伝えるユニークな証言として、関啓子著『まさか、この私が 脳卒中からの生還』(2014年、教文館)があります。言語聴覚士の育成に従事する専門家が自ら患者となり、患者と専門家の二重の立場からリハビリの実態に迫っています。そうです。樋野興夫教授や宇田川雅彦医師の報道や論考と同様に、病気が治ること自体が最終的目的でなく、人間として生きること・生かされることが目的である事実を関啓子先生も指し示してくれます。
それぞれの専門分野に従事する医師や言語聴覚士、作業療法士、理学療法士による論考に加えて、さらに様々な患者による聖書をメガネにした経験の生き生きとした証言提示の場として、小紙が用いられる備えを進めたいのです。
(文・宮村武夫)