第5章 心傷つき病む子どもたちの癒やしへの道
Ⅲ. アガペーによる全面受容の癒やしへの道
さて、以上に述べてきたような諸点をよくよく心にお留めいただいて、いよいよこれから「アガペーによる全面受容の癒やしへの道」について具体的にお話ししてまいりましょう。
そこでもう一度、ここで「アガペー」という全面受容の礎になる愛の本質について、その定義をご一緒に声を出して復唱してみましょう。そうです、「アガペー」とは、「相手のために、しかも自らに敵対し不利益を与える相手のためにさえ、あえて自己犠牲を甘受して、その相手の祝福のために、献げ仕えて行く、何一つ見返りを期待しない心と生活」です。どうかこの「アガペー」の本質を片時も忘れずに、常に脳裏に描きつつ、これから述べる一つ一つを実践してみてください。
1)受容する者自身に関する自己変革の重要性
まず何よりも第一に取り組まなければならない重要事は、心傷つき病む子どもたちの癒やしのために従事する受容者である両親たち自身が、すでに述べてきたような人間性の真の本質と尊厳、絶対的価値観と人生観、世界観をしっかりと学習し、それに基づいてまずそれまでの自己の考え方と生き方を謙虚に見つめ直し、自己変革することであって、その上でそこに新たな人間関係、親子関係を再構築して行くことが大切です。
なぜならウルトラ良い子たちは、彼らの純粋でかつ鋭敏な感性をもって、自分を受容してくれる相手である両親たちが、いかに彼らが長い間両親に期待していたかしれないかかる考え方を、改めて真摯に取り込み直し、それに基づいて歩み直してくれたかを知って、大いに喜ぶと共に、何よりも安息し、かつ驚き感動するに違いないからです。
これまたすでに何度も強調してきたように、こうした本質的、絶対的な人間観や人生観、そしてまたかかる価値観を彼らはほぼ本能的にと言って良いほど、生まれながらにして渇求していたからなのです。それが今や自分の最も慕い、かつ愛してやまない自らの受容者である両親たちの内にその素晴らしいものが芽生え、そして存在しているのを知って、彼らはどんなにか喜び、安心することでしょう。
彼らは、かくして自らの受容者である両親たちが、まさにそのような者以外でないことを確認できる時、その瞬間から彼らの心が癒やされ始めるのです。しかし、その反対にこのような点において両親たちが不十分である時は、仮にその他の点で様々な受容を試みても、しない時よりは幾分か効果はあるにしても、根底から癒やしが本格的に促進されることはないでしょう。すなわちウルトラ良い子たちは、それほど感性が鋭敏で受容者である両親たちの心の中の真実を見破ってしまうからです。彼らを欺くことは決してできないのです。この点をよくよく心得ておく必要があります。
そこで受容者である両親たちが、心傷つき病めるウルトラ良い子たちの癒やしのミニストリーに従事するには、まず何よりも初めに彼らのウルトラ感性になじまない一切の世俗的価値観や人生観、世界観を徹底的放棄してしまう必要があります。受容者たちがこのような彼らの感性にそぐわない一つ一つの考え方や生き方を放棄してしまう時、最も彼らを受容しやすい心の豊かな環境を生み出し、かつ愛による癒やしの環境を完備することに成功するのです。そしてこのところからこそ、真摯なアガペーによる全面受容のミニストリーが始まるのです。(続く)
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。