4月2日(現地時間1日午後8時46分)に起きたマグニチュード(M)8.2の大地震とそれによる津波を受け、北部沿岸のタラパカ州の州都イキケやそこから約15キロの近郊にある都市アルト・オスピシオで6人の死者を出した南米チリ。
カトリック信者が大多数を占める同国のカトリック教会は3日、公式ウェブサイトに「最初の一息は生きていることを神に感謝するためにした」という見出しの記事を掲載し、この地震によって約2000軒の家屋が損傷したアルト・オスピシオで生き残ったミゲル・ハウ神父の体験談を伝えた。また、同ウェブサイトによると、同国ではカトリックの援助・福祉団体「カリタス・チリ」による被災地支援キャンペーンによる連帯が行われているという。
「4月1日の夜、午後8時45分ごろ、私たちがカルメンの聖母教会でミサの最後の歌を歌っていた時、M8.2の強い地震が起き、チリ北部の多くを襲った」とハウ神父。「照明が消え、祭壇のろうそくをもってしても、私たちはチャペルからの出口を見つけることができなかった。地震の間にガラスが爆裂してその音が響いた。これによる被害が止まった時、最初の一息は生きていること、そしてミサの参列者たちが被害を受けなかったことを神に感謝するためにした」と、地震発生時の様子を明かした。
「それから太平洋沿岸近くで津波警報が鳴り始めたイキケにいた親戚や友人たちのことを思った」とハウ神父は語る。その後、司教区の同僚のアルビヌス神父に会いに自宅へ行ったが、その家はほとんど損傷がなかったという。
それからハウ神父らは一緒に近所の人たちに会いに行ったが、「みなアルト・オスピシオのほこりまみれの通りの中で、私たちの車のラジオを通じてニュースを聞いていた。みなイキケにいた私たちの友人たちや親戚のことをとても心配していた」と言う。
「アルビヌス神父と私は他のチャペルがどうなったか見に行ったが、一つ目(のチャペル)が損傷が大きかった。その他のチャペルはさまざまな部分が損傷した」と、地震による被害を明かした。
また、「(翌日の)朝、私たちは、この地震で6人が死んだが、水の配給が始まり、電気も各家屋にすぐに復旧し始めたと聞いた。いくつかの新しいアパートが損傷を受けた」「そのため、人々は今のところ、一部の家族用の宿泊所として使われているアンデスの聖テレサチャペルで過ごさなければならない」と続けた。
ハウ神父はその上で、「私たちがチャペルの建物に受けた全ての損傷によって、司牧に関する予定を延期することになるだろうし、私たちはチャペルの修復のために時間を捧げなければならないだろう。私たちの予定というものは常に計画通りに行くとは限らないが、私たちの司教は『私たちの助けは神の御名によるものだ』と語った」と結んだ。(続く:ローマ教皇、大地震でチリ国民に連帯の意 カトリック救援団体が緊急委員会を設置)
■ チリ大地震・津波:(1)(2)