しかしイエスご自身は
ルカの福音書5章12節~16節
[1]序
今回は、ルカの福音書の5章12節から16節の箇所を味わいます。
[2]全身らい病の人・新改訳3版「全身ツァラアトの人」のいやし
(1)「全身らい病の人」(新改訳3版「全身ツァラアトの人」)
ハンセン氏病ばかりでなく、様々な皮膚病を対象とする律法の規定。レビ13章45、46節、民数記5章2、3節参照。規定の本来の目的からそれて、そのような病いに苦しむ人々は社会的隔離など厳しい状況の中で生活しなければならなかった実態。
(2)熱心な願いと信頼
①「ひれ伏してお願い」。自分の状態をいやしてくださるのは、主イエスであると信じ、心の内にある信頼を外面の行為をもってに現す。彼がどれほど熱心な願いを持っていたか明らかにされています。
②「主よ」とのよびかけにも、主イエスに対するこの人の心の態度を現しています。
③「お心一つで、私はきよくしていただけます」。主イエスの御力を信じていやすことが出来ると信じているばかりでなく、自分の側の願い以上に主イエスの御心を大切にしています。
(3)主イエスのいやし
①「手を伸ばして、彼にさわり」。主イエスの限りない恩恵と好意が行為を通して現されています。
②「わたしの心だ。きよくなれ」。主イエスのことばの権威はここでも明らかに。主イエスの行為とことばが一つになっていやしの恵みが与えられています。
(4)「モーセが命じように」(14節)
レビ記14章1節以下参照。祭司によりいやされている事実を確認し、またいやされた感謝を表すため。
[3]「しかしイエスご自身は」
(1)14、15節。4章40節と42節参照。
(2)主イエスの祈り
「このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた」(6章12節)
「さて、イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちがいっしょにいた」(9章18節)
「イエスは、ペテロとヨハネとヤコブとを連れて、祈るために、山に登られた」(9章28節)
[4]結び
(1)私たちはどのような願いを持つか。どれほど熱心に願っているか。
(2)主なる神様のご計画と私たちの願い。「わたしのこころだ。きよくなれ」。主なる神様の御心を願い求める。
(3)主イエスご自身の祈り
「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです」(へブル7章25節)
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。