今日の聖書箇所から、いやしをいただくために、もう一歩踏み込む信仰を学び、あなたが信じているお方は誰で、何を信じているのかをもう一度確かめましょう。私たちの信じるイエスは、魂の救い主であり、永遠の命を下さるお方、そして、いやし主です。
1.イエスをどこまで信じますか
私たちは、イエスを信じているはずです。しかし、このイエスをどこまで信じているでしょうか。
この記事の特徴は、イエスが一見冷たく見えて、最後の最後に最大のほめ言葉を投げかけておられることです。このコントラストを読み取りたいのです。
イエスは、カナン人の女が訴えてきたとき、最初は一言もお答えにならずに無視。次は、イスラエル人のために来たのだから、異邦人である彼女は、自分の働きの対象外であると拒否。それでもさらに叫び続ける彼女に、野良犬の小犬のような取るに足りない者にあげるものはないと言われます。今の社会なら、名誉毀損で訴えられるような台詞です。一度ならず二度三度とイエスは彼女を否定されたのです。
私たちは日本人らしい物わかりの良さで、簡単に諦めたり、侮辱されたと腹を立てて自分からやめたりしていないでしょうか。彼女は、何度拒否されても諦めませんでした。冷たい言葉を浴びせかけられても腹を立てることもなく、イエスに向かって踏み込んだのです。
あなたはどこまでイエスを信じますか? みんなから受け入れられイエスに愛され大切にされるから信じますか? イエスに背を向けられたように感じても、自分から踏み込んでみませんか。そのためには、目の前にあるひとつの壁を1回越えることです。この女も自分の目の前の壁をひとつずつ越えました。人間関係、受験、将来の計画…今置かれている場所で神に向かって一歩踏み込むのです。
2.自分の価値をどこまで信じますか
いやしてくれるというイエスに対して、欠点の多い自分の祈りにも答えてくださると信じられますか。
彼女は異邦人で、イスラエルとは断絶状態のカナン人、当時は女性の立場は大変低く、おそらくはその中でも立場の弱い未亡人だったのでしょう。イエスにも、人間ではなく犬、それも未熟な小犬と言われました。
あなたはどこまで自分に救われる価値があると信じられるでしょうか。神の愛にとっては小さすぎる者はいません。神は私をひとりの魂として選んでくださったし、ひとりの罪人が救われるときに天では大きな喜びがあると書かれています。
この女性が、たとえ小犬でもテーブルから落ちるパンくずならいただけますと言ったとき、イエスは「あなたの信仰はりっぱです」という有名なお言葉を語られたのです。
イエスに向かって、そして自分に向かって一歩踏み込むとき、「おまえの信仰はりっぱだ」とイエス本来の愛があふれるお言葉とともに主の恵みをいただくことができます。今日もプラスワン。今日も今まで以上のことが起こると信じませんか。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。