これまで長年にわたり、日本人がキリスト教を受け入れにくい理由を分析してきましたが、それらをまとめると、以下の4つになると思います。
日本人がキリスト教を受け入れにくい理由
- 江戸幕府による約250年間にわたる厳しい禁教令、および明治政府の国家神道に基づく国家経営などが、日本人の宗教観に大きな影響を与えたため
- 「唯一神」という明確な信仰対象を持つキリスト教が、多種多様な依り代(祈りの場)を備える日本文化と融合しにくい印象を与えたため
- 日本の社会構造では、個人の信仰よりも、強い絆を持つ家族や地域共同体との調和が優先されるため
- 欧米の教会組織をそのまま日本に移植したことで、教会内部の絆が強くなり過ぎ、教会の内と外が明確に区分されて閉鎖性が増したため
上記の要因は全て、日本宣教拡大の方針を探る大切な要素になりますが、今回は、3について、特に仏教葬儀文化が支配する日本社会における宣教の在り方を考え、具体的な対策方針を提案したいと思います。
葬儀前日の牧師司式キャンセル
昨年、闘病中の男性の容体が悪く、奥様から葬儀の相談が入りました。信者ではありませんでしたが、キリスト教に好感を持ち、召された際にはキリスト教葬儀を希望しておられました。
早速、近隣の牧師を紹介したところ、牧師夫妻と大変良い関係が築かれ、病床洗礼を勧める段階になりましたが、残念なことに病状が急変し、その機会を得ることなく召されました。
牧師夫妻は遺された奥様を支え、弊社と連携して葬儀の準備を進めました。ところが葬儀の前日、親族からキリスト教葬儀への反対が入り、急きょ、仏教葬儀へと変更になってしまいました。
司式を準備していた牧師は、予定を変更して仏教葬儀に参列し、その後も関係が維持されていますので、宣教的な働きは継続できましたが、個人の信仰より、家族や地域共同体の中にある仏教葬儀文化を優先せざるを得ない現実を改めて確認することになりました。
仏教は伝統文化の継承を求め、キリスト教は信仰を求める
上記のような例は、日本社会では珍しいことではありません。葬儀相談を受けながら、キリスト教葬儀を断念したことは、これまで何度かありました。また、遺族から仏教に配慮したキリスト教葬儀を求められたことや、キリスト教葬儀とは別に仏教葬儀を設けたこともありました。
いずれの場合も、キリスト教信仰を否定されたわけではなく、長年、家族親族の中で受け継がれた仏教葬儀文化への配慮を、強く求められてきたように思います。
日本の仏教は伝統文化の継承を求め、キリスト教は信仰を求めていますので、両方の立場を尊重する、現場に即した対応が大切になると感じています。
仏教徒のままキリストを信じられるのか
それでは、仏教徒のままキリストを信じられるのかという問いに、真摯(しんし)に向き合ってみたいと思います。この問いに対し、キリスト教会が明確にイエスと答え、その歩みを主導できるなら、実は日本宣教の拡大にとって、大きな進展になると思うからです。
前回のコラムで述べたように、現代の仏教の中には偶像礼拝の要素が確かに含まれています。しかし、それらは仏教の本質ではなく、後の時代に付け加えられたもので、本来の仏教には明確な信仰の対象がありません。
もし、現代社会の仏教が、受け継がれた伝統文化を継承することだけを求めるのなら、偶像礼拝を避けながら、仏教徒のままキリストを信じる道は備えられているように思います。
実際の現場では
実際の日本社会におけるキリスト教信者は、程度の差はあっても仏教葬儀文化の影響下にいますので、受け継がれた伝統文化に配慮しながら、その上で信仰生活を送っています。大切な伝統文化を無視して生活することは不可能だからです。
地域教会には、このような信者に寄り添い、彼らが家族や地域社会と調和しながら、安心して信仰生活が送れるように指導する役割があると思います。
また、受け継がれた仏教葬儀文化の故に、キリストを信じる決心がつかない求道者に対し、仏教徒のまま信仰を持ち、伝統文化を守りながら信仰生活を送ることを勧めたいと思います。もちろん偶像礼拝の危険性を伝えることも、以前にも増して必要になるでしょう。
そのような事例が増えることで、日本人に寄り添う効果的な宣教は、大いに拡大すると考えています。
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