1. 人の名前の力
人の名前は、その人を特定し、他の人と区別する方法である。「名は体を表す」と言うように、階級、権威、人格、能力、評判、業績、所有物、支配力など、その人の肩書や働きもそこに含んで、その人自身を表すともいえる。
例えば、出生、国籍、年齢、家族、友人、学歴、経歴、職業、資格、賞罰、能力、性質、人脈・・・人生を形成するこれらの要素も、その人の名前に含まれると考えることができるのではないだろうか。その意味で、名前にはその人の全てを包括的に表現する力がある。
ある時、アフリカのG国で大きなプロジェクトを実行する日本人の代理人になった。知り合いのG国現地人に協力を頼んだところ、彼は同国の大統領にも紹介してくれ、同氏を訪問することになった。
しばらくして、私の携帯に国際電話がかかってきた。「ミスター・ササキ、私はG国の大統領です。緊急の要件なので私が直接お電話しました。実は5日後に米国の大統領が急きょ、わが国を訪問してくれることになりました。つきましては、その日に訪問していただけませんでしょうか。3国の代表同士で話し合いたいと思いますので」という内容であった。なぜ私がそのような重大な会談に招かれたのか理由が分からなかったが、あまりにも急過ぎてG国の入国条件である予防接種にも間に合わないため、丁重にお断りした。
後で分かったことだが、G国大統領が私を日本国政府の代理人だと勘違いしたらしい。私は一介の弁護士に過ぎないが、日本国政府の代理人という権威に敬意を表したのである。
2. イエスの名前の力
それでは、イエスの名前の力はどれほどのものであろうか。イエスの名前には「全知全能の父なる神の独り子、三位一体の神、天の父と共に万物を創造した創造主、万軍の主、王の王、主の主、救い主、贖(あがな)い主、癒やし主、解放の主、天地における一切の権威を授かっている者」など、とてつもなく偉大な地位や権威が含まれる。また、イエスはインマヌエル(神われらと共にいます)とも呼ばれる(マタイ1:23)。
そして、神はキリストを高く上げて、イエスの名前を全ての名に勝る名前とされた。天地にある全てのものはイエスの名前の前にひざまずき、その全ての舌はイエスは主であると告白しなければならない(ピリピ2:9~11)。
3. イエスの名前を使う法的代理権
驚くべきことに、そのような偉大なイエスの名前を、神の子たちは誰でも使う権利が与えられた。それは、神の子として神の御心を行うための(特に、福音伝道のための)特権である。言い換えれば、イエスは私たちにご自分の名前を使う包括的な代理権を与えてくださり、自分の願いをイエスの願いとして宣言し、要求することができるのである。
例えば、イエスの名を使うことによって、悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、蛇をもつかみ、毒を飲んでも害を受けず、病人に手を置いて癒やすことができる力と権能が私たちに授けられている(マタイ28:18、19、マルコ16:17、18)。神の子にその力があるのではなく、イエスの名の偉大な権威と力をその代理人として行使できるということである。
実に、私たちはキリストの大使なのである(2コリント5:20)。
わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。(ヨハネ14:13、同様聖句:ヨハネ16:23、24、26)
私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。(使徒17:28)
あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。(コロサイ3:17)
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