この第1次世界大戦は何だったのだろうか。ケーテは必死で考えた。最愛の息子を戦争で失い、その後続く極度に貧しい生活。そして労働者を自立させようとする革命の失敗。さらにリープクネヒトとローザ・ルクセンブルクの虐殺――など次々に襲う労働者への圧迫に、彼女の胸は怒りで燃え上がるのであった。
そんな彼女に、突然すさまじいエネルギーが戻ってきた。それは、理不尽な権力に対抗する力ではなく、母の心をもってドイツの人々に、ひいては世界中の人々に呼びかけ、弱者を守ろうとする力であった。
ケーテは、戦争の爪痕が残っている場所を歩き、心に傷を持った人々の姿をスケッチし、その心にわずかに残る人間らしさや崇高な心のきらめきをキャンバスに収めることを始めた。こうして人間の尊厳を回復したかったのである。
ある日、彼女は死体処理場を訪れた。そこには銃殺された人間の死体がずらりと並べられていた。彼女の目に突然一人の若いロシア兵の姿が飛び込んだ。244号という番号札が衣類の上に載せられており、シャプスキーという名が刻まれてあった。
ケーテのすぐ後ろにいた女性が「かわいそうに」とつぶやくのが聞こえた。「あんたは何も悪くないのに、ロシア人というだけで殺されたのね」。しかし、そのロシア人は不思議に穏やかな顔をしており、今は痛みも苦しみもない場所で安らっているように感じられた。ケーテは心を込めて一枚のスケッチを仕上げ、この『ロシアを救え』という版画は1921年公開された。
その3日後。彼女は孤児院を訪れた。戦争によって父母を失った子どもが急増したため、あちこちに孤児院ができていた。その孤児院では、ちょうど孤児たちが保育士からパンをもらっていた。ここでケーテはトルーデ・ブレンゲルという女の子と仲良くなった。父親だけの手で育てられたのだが、その父が戦死したのでここに入れられたのだという。
「今何か欲しいものある?」と尋ねると、彼女は「動物園に行きたい」と答えた。「お父さんがね、戦争から帰ったらきっと動物園に連れてってあげるって約束したのに。お父さん、死んじゃった」
そしてその子は、ケーテにしがみついて泣き出した。そこでケーテは保育士にその子を一晩預からせてほしいと言い、許可された。「さあ、今晩はおばちゃんの所に泊まるのよ」とその金髪をなでながら言うと、少女はにっこり笑った。
翌日。ケーテは少女の金髪をおさげにしてリボンをつけてから、動物園に連れて行った。「動物園だ! うれしいな!」トルーデはケーテの腕にぶらさがるようにして言った。2人はライオンやヒョウ、白熊やゾウ、チンパンジーなどを見て歩いた。その間トルーデはケーテの手につかまってピョンピョン跳ねた。チンパンジーの檻をのぞくと、母親のチンパンジーが子どもを抱いてその体のノミを取ってやっていた。
「戦争が激しくなって大方の動物は死んでしまいました。今いるのは残ったものなんです。また戦争になったら、政府の命令でこの子たちを射殺しなくちゃならんでしょうなあ」。飼育員が悲しそうに言うのだった。
孤児院に戻ると、保育士がこの子の遠縁の親戚が見つかり、近く引き取りに来ることを伝えた。「あなた幸せになるのよ。いつかまた会えたら、一緒に動物園に行きましょうね」。少女の金髪をなでながらこう言うと、ケーテは孤児院を後にした。
1920年。戦争の爪痕はドイツ国内にとどまらず、近隣の町にも見られた。間もなくウィーンで飢餓が広がり、多くの人命が失われていることが報道されると、ケーテは救済活動を呼びかけるためにプラカードを作った。
「ウィーンは死にひんしている。子どもを救え」というタイトルの下に、死がムチを振るい、その下に女や子どもたち、男たちがあえぎつつ身を引きずるように歩く姿を描いた。
中央にいる女にたくさんの子どもたちがしがみついて「お母さん、おなかがすいたよう!」と叫んでいる。またウィーンやベルリン、他の町で多くの子どもが飢餓のために栄養失調で死んでいくのを見て、彼女は力を振り絞って『医師のもとで』という版画を制作した。これは夫カールが患者を診察する姿をモデルにしたといわれている。
ケーテは続いて『両親』という小さな彫刻を作り、ペーターの墓に供えることにした。今は「フォッシュ紙」の文芸部に勤めるハンスは、オティリエという気立てのいい女性と結婚していたが、彼らはリヒテンラーデの丘の一角を買い取り、そこをペーターの墓にしてくれたのだった。
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<あとがき>
愛する次男ペーターを戦争で失い、心が押しつぶされたような思いで日々を過ごしていたケーテは、やがてその悲しみが大きなエネルギーになるのを感じました。彼女は「母の心」をもってドイツ国内の、そして世界の人々に呼びかけ、弱い者を守る運動を始めたのです。
彼女は、戦争の爪痕が残っている場所を訪れ、心身に深い傷を受けた人々の姿をキャンバスに収めることによって世の人の人間性を回復させようとしました。死体処理場を訪れ、銃殺された若い兵士をスケッチし、戦争で父親を失った孤児を動物園に連れて行ったりしました。
そして、ドイツ国内からウィーンへと飢餓が広がり、多くの人命が失われたとき、「ウィーンは死にひんしている。子どもを救え」というプラカードを手に救済運動に駆け回ったのです。その頃「フォッシュ紙」で働く長男のハンスはオティリエと結婚し、夫婦でペーターの記念碑を建てるためにリヒテンラーデの丘の一角を買い取り、母ケーテを慰めます。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)刊行。また、猫のファンタジーを書き始め、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。20年『ジーザス ラブズ ミー 日本を愛したJ・ヘボンの生涯』(一粒社)刊行。現在もキリスト教書、伝記、ファンタジーの分野で執筆を続けている。