北は、スターバックスやアマゾン、マイクロソフトなど、日本でも知られた大手企業の本社があるワシントン州。南は、IT企業の一大拠点シリコンバレーや映画産業の中心地ハリウッドなどがあるカリフォルニア州。その2つの州に南北を挟まれてあるのが、全米屈指の自然を誇るオレゴン州だ。同州最大都市ポートランドは、米国で最も美しい都市の一つとされている。
そのオレゴン州で、最初はプレハブの借家で礼拝をささげていた日系教会が、4800坪という広大な土地を購入し、会堂を建て上げ、さらに総工費1億5千万円の多目的ビルを負債ゼロで建てた「神の奇跡の記録」がこのほど、『オレゴンの空の下で』としてまとめられた。
『オレゴンの空の下で』を出版したのは、同州タイガードにある日本インターナショナル・バプテスト教会の横井マイク牧師と妻の由美子さん。広大な土地の購入や会堂建築は「無謀」という声が周囲からも聞かれるものだった。会堂は見事に完成するが、多くの失敗も経験。それから20年後に取り組んだ多目的ビルの建設は、過去の失敗を踏まえて借金は一切せず、また直接的な献金の呼びかけもせず、まさに祈りで成し遂げた奇跡だった。
この驚くべき神の業を書き留め、次世代に伝えなければと思い、まとめたのが本書。当初は、教会内部向けの記録として考えていたが、日本の諸教会にも希望と勇気を持ってほしいと願い、広く出版することを決めたという。
夢のまた夢だった会堂建築
商社マンを経て献身した横井牧師が渡米したのは1983年1月。由美子さんと、まだ幼い3人の子どもを連れてのことだった。最初はフロリダ州に渡ったが、米国人教会の日本語部に招聘(しょうへい)され、同年5月にはオレゴン州に。赴任先の教会があったポートランドは、札幌と同じ緯度にあり、特に冬は寒さが厳しい。そんな地で、日本語部は当時、保温性の乏しいプレハブの借家を使って礼拝していた。教会員は子どもを含め約40人。年間予算は50万円程度。会堂建築など、夢のまた夢の状態だった。
しかし、日本語部の礼拝に出席していた夫妻が会堂建築のために献金をしたことをきっかけに、皆が真剣に祈り始めるようになった。そして、日本語部は「日本インターナショナル・バプテスト教会」として独立。90年には、米国の所属教団からの借り入れなどで、ポートランドに隣接するタイガードに4800坪の土地を購入することができた。東京ドームの約3分の1の広さである。
会堂建築には、所属教団の関係者がボランティアとして全米から駆け付けてくれた。そして96年、第2次世界大戦後では米国本土初となる日系教会の建物として、青い屋根に白い十字架が高くそびえ立つ会堂が完成した。
会堂建築時の失敗
一方、土地購入や会堂建築では、教会員から借り入れをしたり、教会債を発行したりするなどして資金集めをし、多くの借金を抱えることになった。「借りては返し、返しては借りる綱渡り的借り入れ」が続いたという。献金の呼びかけも頻繁に行い、この過程で傷つき教会を離れていった教会員もいた。
「たくさんの失敗をしました。本当につらい体験でした」と横井牧師は振り返る。
それでも、会堂完成後は礼拝出席者が増えていき、若者や子どもたちが多く集まる教会へと成長していった。礼拝には毎週平均200人余りが出席するようになり、新しい建物の建設が切実な課題となる。会堂建築の返済がまだ続く中、多目的ビルの建設計画が始まった。
「喜びの油壺」と「天の助け」
建設資金の調達プロジェクトは、旧約聖書の第2列王記4章1~7節から「喜びの油壺(つぼ)」と名付けられた。教会ではその数年前から、毎週月曜日から木曜日までの朝6時から7時半にかけ、祈り会を行っていたが、土曜日の朝にも多目的ビル建設のための祈り会を行うようになった。幼い子どもやユース世代も含め、毎回20人以上の教会員が集まって祈りをささげた。建設のために毎日祈るとする約束カードを提出する人も100人を超えた。
実際に建設が始まると、想定外の出費が続いた。しかし、生活費を節約したり、老後保険の一部を崩したり、はたまた廃棄されていたブランド物のハンガーを売ったりするなどして、教会員一人一人がそれぞれの方法で、それぞれが示された金額を「喜びの油壺」にささげていった。それでも、教会の財務担当者は常に激しい戦いを強いられ、「請求と支払いのシーソーゲーム」が繰り返された。
だが、エレベーターの設置が不要となったことで、数百万円を節約できたり、以前教会に通っていた婦人の夫であるセメント建築工事士が協力を申し出てくれ、相場の10分の1ほどの価格でセメント工事をしてくれたりするなど、さまざまな「天の助け」があった。
差し押さえの危機の中で起こった奇跡
『オレゴンの空の下で』には、こうした神の取り計らいや証しが数多く記録されている。その中でも、横井牧師の記憶に最も印象深く残っているのは、電気工事や空調設備の代金計500万円余りの支払いが滞り、差し押さえの危機に陥ったときのことだ。それまでの経験から「何とか集まるだろう」とどこかに油断する心があった。しかし、支払い日まで1週間を切っても、400万円以上が不足していた。
「まだ3、4日あるという思いもありましたが、顔がだんだん青くなり、そのことが頭から離れなくなりました。それまではあんなに祈っていたのに、信仰がどこかへ飛んでいってしまったようでした」
焦った横井牧師は緊急会議を開催し、牧師と教会のリーダー十数人で、不足分を頭割りにして負担することを提案しようと考えた。だが、その会議の開催前に銀行から電話があり、教会の口座に大型の献金が振り込まれていたことが判明。それは、教会が危機的な状況にあったことなど全く知らない、教会員ではない2人からの献金だった。リーダーたちの中には涙を浮かべる人もおり、会議は不信仰を悔い改める祈り会になったという。
教会員の信仰も成長させた多目的ビル建設
教会員は祈り、献金したが、それだけではない。1枚40キロにもなるシートロック(防火用の石こう板)の打ち付けを中心に、一般人でもできる作業は教会員がチームを組んで担った。重作業をできない人たちも茶菓子を出す奉仕などをし、小さな子どもたちは募金箱を持ってファーストフード店を巡って献金集めをしたりした。一人一人がそれぞれの力に応じて、祈り、ささげ、そして自らの手を使って神を賛美する建物の建設に参加したのだ。
横井牧師は、特に日本人に伝道する場合、その地に根を下ろした建物が大切になると考えている。しかし、あくまでも「建物は目的ではなく伝道の手段」。実際、多目的ビル建設のために1円でも多くの資金が必要な中、教会は3回に及ぶ海外伝道を敢行。また、大地震に見舞われたネパールや熊本、ハリケーン被害に遭ったルイジアナ州にチームを派遣し、支援活動も行った。
「この多目的ビル建設は、単に経済的な奇跡を体験しただけでなく、教会員の信仰の成長にも大きな役割を果たしたのです」
教会に必要なものは必ず与えられる
タイガード市の建築許可が下りてから、3年後の2018年6月、体育館やプレイルーム、カフェテリアなどを備えた多目的ビルは完成し、感謝礼拝が行われた。3年にわたった建設プロジェクトを終え、その年の12月に主任牧師から引退した横井牧師は、次のように話す。
「自分たちの環境や状況に縛られず、神様が『必要だ』とされることを進めることだと思います。そうしたら、神様が必ず成し遂げてくださる。そのことを示されました。教会に必要なものは、求めれば必ず与えられるのだという信仰を持って、恐れずに踏み出してください。本書が皆さんの励ましとなればうれしいです」
『オレゴンの空の下で』は税込み1980円。全国のキリスト教書店のほか、アマゾンなどのオンラインショップで購入できる。