そのころ、ペリシテびとがイスラエルと戦おうとして、いくさのために軍勢を集めたので、アキシはダビデに言った、「あなたは、しかと承知してください。あなたとあなたの従者たちとは、わたしと共に出て、軍勢に加わらなければなりません」。 ダビデはアキシに言った、「よろしい、あなたはしもべが何をするかを知られるでしょう」。アキシはダビデに言った、「よろしい、あなたを終身わたしの護衛の長としよう」。(1サムエル28:1、2)
神様は、ダビデがサウルに勝利して王位を継承することを願われていましたが(参照・1サムエル24:4~7)、ダビデはサウルの王位に敬意を示すという理由で、その勝利を先送りし続けました。今度はペリシテ人と組んで、サウルを攻撃しようと考えます。
ダビデは次第に、神様の喜ばれない考え方を自らの心に許すようになっていました。例えば、ダビデには複数の妻がいました(参照・1サムエル25:43)。神様はすでにサムエルを通じて、次の王としての油をダビデに注がれていました(参照・1サムエル16:12)。同じように、私たちも神様からすでに、満ちあふれるほどに豊かな人生を与えられています(参照・ヨハネ10:10)。しかし、その祝福を実際に受け取り、体験するための正しいプロセスを、私たちは経ているでしょうか。
過去の信仰生活を振り返ると、私もさまざまな状況で神様の喜ばれない選択をし、それらをいつも神様が共に働かせて益としてくださったことを思い起こします(参照・ローマ8:28)。これはあくまでも結果論です。私たちクリスチャンは、いつも神様の喜ばれる選択ができるよう心がけることが大切です。
神様は、この地上では種まきの時期があり、また収穫の時期もあると言われます(参照・創世記8:22)。自分の願う時期に物事が起きなかったことで失望し、無理に物事を動かそうとしていないでしょうか。私もブレイクスルーを体験するまでには必ず、長い忍耐の時期がありました。この種まきの時期を、いかに過ごすかが重要です。
神様は使徒パウロを通して、いかなる状況でもキリストが強めてくださるから、私たちには何でもできると語っておられます(参照・ピリピ4:13)。私たちクリスチャンは、水路のそばに植わった木のようですから、時が来ると実がなり、その葉は枯れることがないのです(参照・詩編1:3)。種まきという忍耐の時期でも、キリストにあって何でもできる信仰者として歩み続けることが大切です。
神様が私たちに与えられた満ちあふれるほどに豊かな人生を、正しいプロセスを経て歩み続けましょう。たとえ忍耐の時期であっても、水路のそばに植わった木のように、キリストにあって、私たちには何でもできるのです。
GOD BLESS YOU!!!
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