※ 第1回「その声は誰に届いているのか」から続く。
日本のラジオ伝道に風穴を開けたい――。そう語ってくれたラジオ番組「ゴスペルの力」のスタッフである30代のクリスチャン男性(私から見ると青年)は、明確にこう語ってくれた。
「若い世代に伝わるような番組にしたいんです」
「こんな50過ぎのおっちゃんに相談することか?」と一瞬思ったが、それでもその思いは私も同じ。どうして牧師だけでなく、講師として大学で教える道も継続しているのか。それは若い世代に伝わる「ことば」と「マインド」を常に持ち続けたいからだ。そして、そういうトレーニングを継続したいからに他ならない。
「じゃ、やろうか!」 ここから、この新たな試みはスタートした。
届ける工夫をしているか
前回、「その声は誰に届いているのか」とぶち上げた。それは、これまでのキリスト教系ラジオ番組を約半世紀聴き続けてきた一クリスチャンとしての素直な思いであった。しかし、そのような声を上げているだけでは、無責任な「批評家」である。新たなものを生み出していくには、できていないところを批判するだけではダメだ。
しかも私の場合、ラジオを生業としているわけではない。牧師としての働きがある。また、たとえ端くれであっても、大学教育に関わらせていただいている者としてすべきことがある。「その上でラジオなんてできるのか」。そんな思いが去来した。
しかし、これは発想の出どころが違うと思わされた。つまり、今やっていることから抽出し、それをラジオという形で昇華していけばいいのであって、新たな何かを付け加える必要はない。端的に言えば、「今でも十分おもしろいものは身近にある」ということ。要は「届けるための工夫とアイデア」を構築すればいいだけのことである。
まず考えたのは、「青木保憲」の色を極限まで生かすこと。私の好きなことは何か、人に伝えたいと、思わず熱意がこもってしまうことは何か、である。それで何をすべきかが明確になる。一つは映画。そして米国のキリスト教に関すること。特に米国南部文化。素人だけどゴスペルの歴史もいける。実際に演奏はしないけど、それらを聴くのは大好きだ。さらに、神学。これはこの分野で一応「博士」と称してもいい立場を頂いているので、使用してもいいだろう。
そして最後は説教。「お説教」ではない。教会で語るメッセージに対する興味関心は昔からある。しかも自分で言うのもなんだが、「従来のスタイルに対する大いなる抵抗」が、私というクリスチャンを育んできた。要するに、人と異なることをするのが好きであり、「クリスチャンという枠にはまらないクリスチャン像」を求めてきた、この約半世紀ということである。そのエッセンスをうまく援用できないか。アイデアはこういうコンセプトから導き出されていった。
ここで「ゴスペルの力」というラジオ番組について語っておこう。番組を手がけている一般社団法人TWR(代表:笹木博貴氏)は、世界190カ国、300以上の言語で福音を宣(の)べ伝えているラジオ宣教団体である。創立者はポール・フリード。日本では2013年から活動している。日本では比較的若い宣教団体である。東日本大震災をきっかけに、日本でも活動を始めたということである。ビジョンについては、他の団体とあまり変わりはない。「日本中に福音を届ける」「クリスチャンの信仰成長」「未信者を地域教会につなげる」の3点。今は主に、地域のコミュニティーFMを通して配信している。
また最近は、ポッドキャストなどを利用して、配信時間や配信地域にとらわれず、いつでもどこでも気軽に聴ける番組を目指している。SNSを使った発信は言うまでもない。こうした若者層にアプローチするツールには抜かりがない。つまりハードウェアはそろっている。あとは中身、ソフトである。そこで生み出されたアイデアの起点となったのは、次の聖書の言葉である。
見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。(黙示録3:20、新改訳2017)
これは人間心理の本質を表している。人は異質なものを排除しようとする。また、できるならそれから距離を置きたいと願う。つまり、いくらこちらが強く押しても、最終的な「心の扉」のノブは、相手側にしかないのだ。そうであるなら、「北風と太陽」ではないが、いくら強烈な北風を吹かせても、それではむしろ、聴く人たちはかたくなになり、心の扉を閉ざしてしまうだろう。つまり、わずか30分の間に聖書の言葉(御言葉)を矢継ぎ早に繰り出すことだけでは、かえってキリスト教に対する敷居を高くしてしまうことになりかねない。むしろ「理解と納得」そして「笑い」を提供する方がいい。
参考にしたのは、『上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門』である。この路線が一番若者にはいい。今まで何百冊という「キリスト教入門書」をあさってきた者として、これに勝るビギナー書に出会ったことがない。
ラジオに限らず、キリスト教界は「届ける工夫をしているか」をもう一度考え直す時に来ている。心から真剣にそう思う。次回は、いよいよ具体的に私がTWRと共に見いだしたコンテンツを紹介していきたい。(続く)
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