「世界で最も売れたソロアーティスト」「1日で最も多くのレコードを売ったアーティスト」「出演テレビ視聴率82パーセント」「ライブ世界中継視聴者数15億人」・・・。華々しい記録の数々を打ち立て、一世を風靡(ふうび)した20世紀最大の音楽アーティスト、エルヴィス・プレスリー。彼が42歳でこの世を去るまでの人生を、2時間39分に凝縮したのが本作「エルヴィス」である。監督は「ムーラン・ルージュ」「華麗なるギャツビー」(ディカプリオ版)のバズ・ラーマン。豪華絢爛(けんらん)な衣装と音楽のマッチングにかけては、右に出る者がいない名監督である。
近年、20世紀の音楽アーティストたちを描く作品が続々と公開されている。クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーの生涯を描き、大成功を収めた「ボヘミアン・ラプソディ」、エルトン・ジョンの半生を描いた「ロケットマン」、そして昨年公開され、大いに話題となったアレサ・フランクリンの伝記映画「リスペクト」などである。
本作「エルヴィス」もこの系譜に位置するが、その作風は最もぶっ飛んでいる。過去と現在を行き来するという、あえて分かりづらい作風を選択していることも特筆すべきだが、何よりも異彩を放っているのが、悪名高き強欲マネージャー、トム・パーカーが物語の進行役(ナレーター)になっていることである。ちなみに、この強欲マネージャーを演じているのは、名優トム・ハンクス。彼の粘着質な演技はアカデミー賞モノであろう。
劇中ではラストでさらりと紹介されているが、プレスリーの遺族とパーカーの間には、プレスリーのギャラをめぐって訴訟が起きている。何とパーカーは、プレスリーの出演料の50パーセントを懐にせしめていたのであった。本来ならプレスリーの理解者や家族が進行役となるはずだが、あえてここに敵役を持ってくるあたり、尋常ではない。しかも「私は悪くない」と弁明させるような立ち位置で物語を進ませているのである。つまり白黒は闇の中、ということである。このあたりがすっきりしない。
とはいえ、映画は全編にわたり、プレスリーの楽曲を見事に再現しており、主演のオースティン・バトラーは、プレスリーが憑依(ひょうい)したかのような躍動的な演技で観る者の心をしっかりとつかむ。
物語は冒頭から教会が登場する。米南部の小さな町で生まれ育ったプレスリーは、幼いころから黒人たちと隣り合わせの生活を強いられる貧しい白人層(プア・ホワイト)であった。しかし、彼の生涯にとってこれは確実にプラスとして機能した。彼は肌の色に縛られず、見事に「黒人文化」を吸収して成長することになったからである。少年時代のプレスリーは、黒人の仲間たちとこっそり黒人たちのジャムセッションの現場をのぞき見したり、(おそらくペンテコステ系だろう)教会の中で歌い踊る人々と共に神を賛美したりしていたのである。そして、少年エルヴィスの上に何かが降り注ぐようなカメラワークの後、彼は「覚醒」する。このシーンを観て、聖書の次の箇所が思い起こされた。
イエスは、水の中から上がるとすぐに、天が裂けて御霊が鳩のようにご自分に降って来るのをご覧になった。すると天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」(マルコ1章10~11節、新改訳2017)
プレスリーをキリストと重ねるのはいかがなものかとは思うが、しかしこのシーンを通して分かるのは、神から与えられた「賜物」によって彼が歌い出したということである。つまり、彼は「ギフテッド(神から与えられし者)」として、後の偉業を成し得たということになる。物語には、プレスリーがかつて通っていた黒人教会の牧師の言葉を引用して、テレビでのコンサートを成功に導いたり、公民権運動に対し宗教的な理解を示したりする場面が随所にある。アレサ・フランクリンの「リスペクト」ほど、がっつりと黒人社会を描いているわけではないが、白人でありながら黒人音楽(当時、ロックンロールはそう見なされていた)を体現するアイコンとなっていく過程には、やはり宗教的色合いの強い公民権運動と共に語られなければならない「時代の宿命」があるのだろう。
観終わって、次の聖書の言葉が浮かんできた。
主はこの口に授けてくださった。新しい歌を、私たちの神への賛美を。多くの者は見て恐れ、主に信頼するだろう。(詩篇40篇3節、同上)
プレスリーに関して、キリスト教界では良くない話を聞くことが多かった。「彼は名声に溺れ、麻薬中毒になり、滅びの道を歩んだ」とか、「かつては敬虔なクリスチャンだったが、やがてロックンロールという悪魔に取りつかれ、そして身を滅ぼした」などである。一方で、「亡くなる数日前に、彼は神様に悔い改めの祈りをしていた」とか、「毎日聖書を読んでいた」など、プレスリーファンのクリスチャンが必死に彼を弁護する話を聞かされたこともある。
私はプレスリー世代ではないし、もちろん彼を直接知る者でもない。だから事の真偽は判断できないが、少なくとも本作を見る限りでは、彼の音楽への情熱、真摯(しんし)な向き合い方の中心に、「神への賛美=ゴスペル」があったという主張を否定することはできないと思わされた。米南部に生まれ、黒人社会と隣り合わせに育ち、教会でその天賦の音楽性が目覚めさせられたとするなら、そういうことがあってもおかしくはないだろう。
本作は、プレスリー世代も、そうでない世代も、共に語り合える作品であることは間違いない。
■ 映画「エルヴィス」予告編
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