郷里の北海道千歳市で牧師になって14年目の暮れに、旭川市への転任の話が突然舞い込んできました。自分の郷里で生涯牧会すると固く思い込んでいましたので、内心驚きました。さまざまな葛藤の末、「主が示された地に行くと祝される」という創世記12章1~2節の聖句を握り、1991年4月に旭川市へ転任しました。転任した旭川めぐみキリスト教会は、三浦光世・綾子ご夫妻(日本基督教団旭川六条教会会員)の旧宅を譲り受けて開拓伝道が始まりましたので、三浦ご夫妻と関係の深い教会でした。しかも、ご夫妻が当時住まわれていたご自宅も、教会から徒歩2分の近距離にありました。
晩年の綾子さんと8年間の交流
三浦ご夫妻とお会いしてから、綾子さんとは8年間交流が与えられました。この間、綾子さんの小説『塩狩峠』を読んだことがきっかけの一つとなってクリスチャンになった詩画作家・星野富弘さんの詩画展を、97年11月に旭川駅近くの西武デパートで開催できました。初日は、三浦ご夫妻にテープカットをしていただきました。わずか6日間で入場者が約7400人あり、大盛況でした。
翌98年には、『氷点』の舞台となった見本林に、民立民営の三浦綾子記念文学館が完成しました。完成に至るまで紆余曲折がありましたが、三浦文学の発信基地でもある文学館の完成は、本当に大きな喜びでした。初代館長には、地元の旭川大学元学長で、文芸評論家として著名な高野斗志美氏が就任されました。この時、高野氏はクリスチャンではありませんでしたが、後に肺がんの病床で明確にキリストを信じ、病床洗礼を受けて天に召されました。病床洗礼時に「ずっと『アーメン』が言いたかった」と告白されました。
99年春には、旭川めぐみキリスト教会の牧師館として使用していた三浦ご夫妻の旧宅が、『塩狩峠』の舞台となった和寒(わっさむ)町塩狩に部分移築され、塩狩峠記念館として完成。三浦ご夫妻も開館式典に参列されました。
三浦文学を発信する2つの建物の完成を見届けるようにして、同年10月12日、綾子さんは77歳で天に召されました。高野氏は、「私たちの時代は、人間への限りない優しさによって魂の深い奥行きを生み出すことのできた、このようにも純粋な作家を再び持つことはあるまい、とさえ思う」と哀悼の意を表しました。葬儀には、道内外から千人近い人々が参列し、私たち夫婦のすぐ近くには、ドラマ「北の国から」の脚本家で著名な倉本聰氏の姿もありました。
綾子さん召天後の神のドラマチックな展開
北海道を代表する作家であった綾子さんが召され、多くの道民は落胆し悲しみました。札幌市在住の道産子作家・小檜山(こひやま)博氏は、地元の北海道新聞に次のような文を寄稿されました。
三浦綾子さんが亡くなった。晩秋の早い陽が山に沈んだ時、書斎でその報(しら)せを聞き、三浦綾子が死んだ、とつぶやくと、それが体の中で反響し、何かとてつもなく暗く深い穴に閉じ込められたような気分に陥った。(中略)この先、三浦綾子さんのいない北海道は、いかにも寂しい。しかし宇宙に帰って行った彼女の遺してくれた、やさしさと思いやりという大いなる遺産をかかえて、ぼくらは明日に向かおうと思う。ありがとう、三浦綾子さん。
一方、私は、教会で行っていた3分間のテレホンメッセージで、綾子さんの言葉を引用して数回、追悼メッセージをするように導かれました。そのことが北海道新聞に大きく取り上げられ、数多くの人々が、そのテレホンメッセージを聞いてくださいました。記事掲載後の1週間は、千人近い利用者がありました。それまでは平均20~30人でしたので、本当に驚きました。その後も電話が鳴りやまず、追悼メッセージだったのがやめるにやめられず、結局10年間続けました。さらに、それらの原稿が後日、『三浦綾子100の遺言』(いのちのことば社)として出版されたのも想定外でした。
さて、綾子さん召天後しばらくして、中学生の時に『塩狩峠』を読んでクリスチャンになった長谷川与志充牧師から突然連絡がありました。
「この度、三浦綾子読書会を立ち上げました。綾子さんの地元でも、ぜひ読書会を開きたいのですが」という相談の電話でした。すぐに長谷川牧師が来旭され、その熱き志に心打たれ、早速、旭川めぐみキリスト教会で読書会がスタートしました。幸い、光世さんが教会から徒歩2分の所にお住みでしたので、毎回のように読書会に参加してくださり、その日の課題図書の創作秘話などを語ってくださいました。また、この読書会を通して、三浦文学を複数の人々と読み、感想を分かち合う楽しさと新しい発見の驚きを実体験しました。
長谷川牧師と、当時福岡女学院大学で教鞭を執られていた森下達衛氏によって、ほぼ同時的に始まった三浦綾子読書会は一つにされ、昨年2021年に創立20周年を迎えました。この20年を通じ、長谷川牧師と森下氏の超人的な働きにより、全国約200カ所に読書会が誕生し、海外にまで広がっています。この読書会を通じて数多くの人々が救いに導かれ、受洗されたことも大変喜ばしいことです。
三浦綾子読書会は最近、創立20周年記念誌『つながる命、つなげる力』を発行しました。全国各地から約100人の寄稿があり、読書会に参加した人々の感動と喜びの証しに、大いに励まされています。全国各地に読書会が誕生し、三浦文学に関心を持つ者たちが、同じ課題図書を読み分かち合う時間は、とても楽しく充実感を与えてくれる貴重な時となっています。
ただ、一昨年からコロナ禍が続き、以前のように共に集まり、分かち合うことが難しくなったため、現在はインターネットを介した読書会、講演会などの活動を積極的に展開しています。このことについて、三浦綾子読書会代表の森下氏は、次のように記しておられます。
インターネットというものの基本的性質の一つは、脱中心化です。中心のない多元的な網の目のつながり、その強靭さと豊かさが、読書会にも求められている時代です。一番大事なのは、心に感動を持った一人一人の人とその言葉であり、喜びをもって三浦文学のいのちを「つなぐ」ことへの情熱です。2022年、三浦綾子誕生100年、読書会21年。綾子さんが私たちを見ています。
綾子さんが召されて23年がたち、現代世界は、新型コロナのパンデミックや世界的な異常気象、地震や火山噴火の頻発、さらに最近突如起こったロシアのウクライナ侵攻などを目の当たりにしており、今や核戦争さえ現実的な脅威となりつつあります。このような危機的な時代だからこそ、世代や性別、立場を超えて、三浦文学を通して教えられ、励まされつつ生きてゆくことは、非常に意義あることといえます。
三浦綾子生誕100年の記念すべき年に、さらに多くの人々が「三浦文学の魅力と底力」に関心を持って愛読されることを大いに期待しています。
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