57回にわたって連載してきました本コラムも、今回で最終回となります。今回はエフェソ書6章21~24節を読みます。エフェソ書の「あとがき」の部分です。最初に21~22節を記載します。
21 わたしがどういう様子でいるか、また、何をしているか、あなたがたにも知ってもらうために、ティキコがすべて話すことでしょう。彼は主に結ばれた、愛する兄弟であり、忠実に仕える者です。22 彼をそちらに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、彼から心に励ましを得るためなのです。
この箇所は、コロサイ書4章7~8節に依拠しています。また、同9節は今回の考察の対象となるため、4章7~9節を記載しておきます。
7 わたしの様子については、ティキコがすべてを話すことでしょう。彼は主に結ばれた、愛する兄弟、忠実に仕える者、仲間の僕です。8 彼をそちらに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、彼によって心が励まされるためなのです。9 また、あなたがたの一人、忠実な愛する兄弟オネシモを一緒に行かせます。彼らは、こちらの事情をすべて知らせるでしょう。
なぜオネシモが消えているか
大まかに言いますと、コロサイ書4章7~8節に、「あなたがたにも知ってもらうために」が加えられ、「仲間の僕」が外されている形になっているのがエフェソ書6章21~22節です。ギリシャ語の原典では、「あなたがたにも知ってもらうために」は文頭にあり、それまでに両箇所は一致しています。
コロサイ書とエフェソ書が共に偽名書簡であることは、今までお伝えしてきました。パウロではない別の人たちが書いているのです。それなのにここまで一致する文が書かれているのは、エフェソ書の著者が何かの目的を持ってコロサイ書4章7~8節を反復しているのではないかと思えるのです。
その目的は、「コロサイ書4章9節のオネシモに関する言及を避ける」ことにあったと私は考えています。さらに、エフェソ書の著者が、オネシモの記述を避けるためにこの反復をしたとするならば、それはこの手紙の著者がオネシモであるからこそ、そのようにしたのであると私は考えています(第39回参照)。
パウロの同労者たち
この箇所について、石田学氏が著書で興味深いことを書かれています。
この部分はコロサイ4・7~8と、ほとんど一致する。したがって、この箇所はコロサイ書の文言がほとんどそのまま引用されているのであろう。コロサイ書を解釈し直す仕方で書かれたエフェソ書であっても、ほぼ文言が一致する箇所は多くない。20節「わたしはこの福音の使者として鎖につながれています」が、ローマであることを想定しているとすれば、ティキコがもたらすパウロの様子の報告は、ローマでの獄中生活、つまりパウロの最晩年の様子ということになるであろう。
エフェソ書がコロサイ書の挨拶から、この部分を引用したとすれば、エフェソ書の著者はコロサイ書で後に続く同労者たちについての記述を一切引用しなかった。パウロのことだけに限定している。ただし、22節で「わたしたちの様子」と複数形に置き換えていることから、コロサイ書の同労者が意識されていることがわかる。あるいは、使徒言行録の27・1の「わたしたち」に由来するかもしれない。
なぜティキコヘの言及を引用しながら、他の同労者の様子に触れなかったのか。その理由は推測の域を出ない。ただ、ティキコがパウロの様子を(エフェソの人々に)伝え、パウロの様子を知ることによって「心に励ましを得る」ことがエフェソ書の著者にとって重要なことであったのは確かである。エフェソ書はパウロの最後の様子を具体的に何一つ語らない。それはティキコによってもたらされるべきものであり、パウロの最後の様子が人々の心に励ましを与えるものであることが、この箇所を手紙の最後に加えた目的であろう。殉教伝のように具体的な描写はないが、その意図は殉教伝と同じであり、聖なる者の最後が証しとなって心に励ましを与えるのである。(石田学著『エフェソ書を読む・釈義と説教』232~233ページ)
「ティキコがもたらすパウロの様子の報告は、ローマでの獄中生活、つまりパウロの最晩年の様子ということになるであろう」という部分に、特に共感させられました。またそこから、「そうなると、コロサイ書の背景にあるパウロの投獄とは、使徒言行録24章24節以下のカイサリアでの投獄ではないだろうか」ということを連想させられました。コロサイ書がパウロの真性書簡ではないとしても、何らかにおいて、カイサリアでの投獄を背景に持っているのではないかということです。
そうしますと、コロサイ書4章7~14節にある、ティキコとオネシモを含むパウロの同労者とは、使徒言行録24章23節の「そして、パウロを監禁するように、百人隊長に命じた。ただし、自由をある程度与え、友人たち(筆者注・「仲間たち」とも訳せる)が彼の世話をするのを妨げないようにさせた」とある「仲間たち」のことなのではないかと思わされたのです。
つまり、フィレモン書に見られるパウロの同労者たちは、エフェソでの投獄時代の同労者であり、コロサイ書に見られる同労者たちは、カイサリアでの投獄の同労者たちであり、そして彼らの一部がローマでの投獄時代にも同行していったということではないでしょうか。獄中書簡といわれるフィレモン、コロサイ、エフェソの3書が、それぞれ別の投獄を背景にしているということなのかもしれません。
興味深いので、フィレモン書の同労者人名録と、使徒言行録20章4~6節に見られるエフェソにおける同行者人名録と、コロサイ書の同労者人名録を、表にしてみます。
フィレモン書 | 使徒言行録20章4~6節 | コロサイ書 |
---|---|---|
テモテ エパフラス マルコ アリスタルコ デマス ルカ |
ソパトロ アリスタルコ セクンド ガイオ テモテ ティキコ トロフィモ ルカ(5節の「わたしたち」から。筆者は使徒言行録をルカの著作と考えています) |
テモテ(1章1節) ティキコ オネシモ アリスタルコ マルコ ユストと呼ばれるイエス エパフラス ルカ デマス |
この表において、いろいろな人名が一致していることが大変興味深いところです。おそらく同じ集団を示しているのでしょう。使徒言行録にティキコの名前があり、コロサイ書でそのティキコとオネシモが一緒に記されているということは、オネシモがこの集団に入ったということを意味しているのかもしれません。
結びのあいさつ
23~24節を記載します。
23 平和と、信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟たちにあるように。24 恵みが、変わらぬ愛をもってわたしたちの主イエス・キリストを愛する、すべての人と共にあるように。
「平和」「信仰」「愛」「恵み」があるように願う祝祷の言葉を持って、エフェソ書は結ばれます。
本コラムを連載してきて
「コロサイ書の著者はフィレモンである」「エフェソ書の著者はオネシモである」という2つのことを柱として、しかし単なる空想ではなく根拠を示しつつ、「パウロ以後の初代教会において、パウロ、フィレモン、オネシモという師弟関係の系譜が、どのような役割を果たしていたのか」という観点から、フィレモン、コロサイ、エフェソの3書について、講解のような形の連載をしてきました。
3書を結ぶキーワードとして、「善い業」や「以前~・今~」構文などがあることもお伝えしてきました。2千年前の初代教会における出来事が、まるで目の前に見えるような思いをしながら執筆をしてきました。また、「パウロ書簡集がどのような経過を経てまとめられていったのか」ということを、具体的な出来事を見ながら考察することができました。
本コラムで述べた観点から見るとき、フィレモン書は、奴隷オネシモの改心が記されているというようなものではなく、後にエフェソ教会の監督となってパウロ書簡集を蒐集(しゅうしゅう)したオネシモの召命の書であり、それ故にパウロ書簡集の最後に置かれている重要な書簡なのです。しかし、そうしたことを知ることはあくまでも、「神の言葉」である聖書をより理解していくための一助であるということを最後に申し上げておきたいと思います。
※ 本コラム終了後は、2020年11月に第1回を掲載した短期連載「コヘレトと新約聖書」の第2回以降を掲載します。2月9日から3月30日までの計8回、毎週水曜日に掲載予定です。
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