トニー賞で6冠を達成した同名ブロードウェイミュージカルを、「ラ・ラ・ランド」や「グレイテスト・ショーマン」のスタッフが完全映画化した本作。自らの殻に閉じこもっていた少年が、自殺した同級生の遺族についた「優しいうそ」をきっかけに、思いもよらない方向に事態が転がっていく様に翻弄されていく。その過程を丁寧に描くことで、人間の持つ「承認欲求」や「自己顕示欲」、反対に「匿名性による心ない言葉の暴力」など、現代のSNS世代ならではの人間関係の実態を赤裸々にあぶり出している。監督は「ワンダー 君は太陽」などのスティーブン・チョボスキー。主人公のエヴァン・ハンセンを、舞台版に続きベン・プラットが演じている。
家でも学校でも「透明な存在」である高校生エヴァン。彼は軽度の精神的な病を患ったことから、セラピーを受けている。そして治療の一環として、自分宛てに手紙を書くという課題に取り組むことになる。それを図書館のパソコンで打ち込んだエヴァンは、印刷した手紙を同級生のコナーという少年に持ち去られてしまう。翌日、コナーが自殺したことを知らされた彼は、校長室でコナーの両親から面会を求められる。手紙を見つけたコナーの両親が、文面から息子とエヴァンが親しかったと思い込んだからであった。
彼の家族をこれ以上悲しませたくないエヴァンは、思わず「コナーと親友だった」とうそをついてしまう。そしてコナーの追悼集会で、彼はコナーとのありもしない思い出、そして誰からも相手にされない自分の心情を「コナーの話」として語るのであった。その話が大いなる反響を呼び、SNSにアップされたエヴァンのスピーチは多くの人々を突き動かすこととなる。一躍人気者となるエヴァンだったが・・・。
本作は「ミュージカル」という枠組みを持っているため、セリフが歌となってほとばしり出る作風となっている。その歌詞が世代を越え、現代に生きるすべての人々の心に深く刺さるのである。この構成が秀逸である。しかも歌われる楽曲はほとんどがソロで、各々の内面を彼らなりの表現で開示するというやり方である。
SNSの功罪をここまで見事に人間の心情の揺れ動きとリンクさせた作品は今まで観たことがない。そして単純に「うそはよくない」とは言い切れない可能性を示唆している。しかしだからと言って、主人公がついたうそが最後の最後に作品のテーマとして観客に突き付けられるその鋭さを鈍らせるものにはなっていない。エヴァンはすべてをうそによって手にし、そしてうそによってすべてを失ってしまう。しかしこの作品の肝は、彼の事の顛末ではない。その過程を丹念に描くことで、観客の中にも存在している(存在していた)「エヴァン・ハンセン」を観客自身に見いださせることにある。
前半、「君はひとりじゃない」というテーマで歌われる歌がある。これが人々の心にインパクトを与え、SNSで拡散が始まる。これは言い換えれば、それだけ人は「自分は孤独だ。誰からも理解されていない」と思っているということである。また、エヴァンの歌(劇中ではスピーチ)が人々の心をつかんでいくその過程で、実は観客である私たちの心もギュッとつかまれてしまうことになる。そう、私たちも「孤独」を感じたことがあるからに他ならない。
もう一つ、それは登場人物の中に、常に人々の注目を集めてしまい、図らずもリーダーシップをとってしまう女性が登場する。しかし彼女もまた、人前では自分を「キャラ立て」しているが、その実、エヴァンと同じような悩みを抱え、それを和らげるさまざまな処方箋を持っていることが判明する。つまり本作は、エヴァン・ハンセンという気弱な男の子を中心としながらも、すべての現代人(米国人のみならず、あらゆる民族、人種にまたがる今を生きる人々)に共通する「不安」と「恐れ」を端的に描き出しているのである。ここに私たちは共感せざるを得ない。
SNS時代のバズり、炎上、デジタルタトゥーなどの現代性に目を奪われてはならない。それは時代限定的なフォーマットであって、その本質は、常に人が抱える「アイデンティティー・クライシス」(自分が何者なのか、分からなくなること)であることを、本作は重くストレートに私たちにぶつけてくるのである。
観終わって、ふと次の聖書の言葉が浮かんできた。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(旧約聖書・イザヤ書43章4節)
この言葉は、よく説教や人を導くときに用いられる聖句である。時として、あまりに抽象的でいきなり天から声がするような突飛な発想に思ってしまい、大上段からこれを語ることに躊躇(ちゅうちょ)を覚えていた。もう少し身近なところから、地に足を付けて向き合うべきではないか、と。しかし本作を鑑賞し、この言葉がすべての人々にとっての「福音(良き知らせ)」となることを実感した。SNSであろうと人のうわさ話であろうと、人は誰もが周りからどう思われているかを意識し、自分の言動が他者に受け入れられているかに人一倍敏感である。それは自分のアイデンティティーを他者に明け渡すようなものである。そして不安と恐れを感じている。そこにこの聖書の言葉ははっきりと決別を突き付ける。「あなたは愛されているよ」と。朴訥(ぼくとつ)ではあるが力強く、肯定的なメッセージを伝えている。
本作は、現代に生きるすべての人々にとっての「私の物語」となっている。だから、クリスチャン、未信者関係なく、鑑賞することで何かを語り出したくなる作品である。コロナも沈静化しつつある現在、多くの人と鑑賞し、共に語り合ってもらいたいと願う。
■ 映画「ディア・エヴァン・ハンセン」予告編
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