ドイツの宗教改革者マルティン・ルター(1483~1546)が訳した聖書が、来年で出版500周年を迎えることを受け、翻訳の舞台となったワルトブルク城のある同国中部チューリンゲン州で記念年間が始まった。
ルターは、95カ条の論題の提示や、教皇や公会議の権威を否定する発言などにより、1521年のヴォルムス帝国議会で異端として破門されたため、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世の保護の下、同州アイゼナハ郊外のワルトブルク城に隠れ住むことになる。しかしこの期間にわずか10週間ほどで新約聖書をドイツ語に翻訳。翌1522年に出版すると、広く受け入れられ、ドイツ社会に大きな影響を与えることになった。
欧州のキリスト教メディア「エバンジェリカル・フォーカス」(英語)によると、宗教改革記念日の10月31日には、「世界を翻訳する」をテーマとする記念年間の開幕式典が行われ、チューリンゲン州のボド・ラメロウ首相や、アイゼナハのカーチャ・ボルフ市長らが出席。ラメロウ氏は、「ルターはドイツの文章語の基礎を築いた」とたたえた。
チューリンゲン州観光局のマネージングディレクターであるフランツ・ホフマン氏は、「翻訳は歴史を形成し、特にチューリンゲン州に顕著な痕跡を残しました。そのためこの記念年間では、翻訳が言葉や音楽、イメージに与えた影響や、現代に至るまでの絶え間ない変化にも焦点を当てています」とコメント。この記念年間を通して、1千万人以上の観光客が同州を訪れると見込んでいるという。
アイゼナハは、教会音楽でも有名なヨハン・セバスチャン・バッハ(1685~1750)の出生地でもある。ルターはアイゼナハの学校に通っていたことがあり、バッハも同じ学校に通ったという。2人ともこの学校で初めて音楽のレッスンを受け、ゲオルゲン教会の聖歌隊で歌った。ルター派一家に生まれたバッハは、この教会で洗礼を受けており、一方でルターは35曲もの賛美歌を作詞し、作曲も行ったとされている。記念年間の期間中には、こうしたルターとバッハにまつわる企画など、さまざまなプロジェクトが予定されている。