最先端科学の謎から科学の本質について考える講演会「オンライン・サイエンスカフェ」(インターナショナルVIPクラブ西落合・ルワンダなど主催)が3日、オンラインで開かれ、電子物性工学が専門の阿部正紀・東京工業大学名誉教授が講演し、56人が参加した。今回取り上げたのは、最先端宇宙論の中でも「宗教に近い」と批判される「多宇宙論に基づく人間原理」。その実態を分かりやすく解説し、科学の本質に迫った。
昨年11月に第1回を開催してからリピーターも多く好評で、今回が3回目。前回も阿部氏が宇宙論をテーマに講演し、最先端宇宙論が抱える未解決問題を解説した。中でも深刻な未解決問題の一つは、宇宙に膨大な量が存在する未知の要素「暗黒エネルギー」の理論的な計算値が、観測値より120桁も大きい点だ。
仮に暗黒エネルギーの観測値が素粒子論による計算値と一致し、今の観測値より120桁大きければ、宇宙は直ちに猛烈な勢いで加速膨張(インフレーション)してしまい、無限に広い空間を素粒子だけがまばらに飛び交う状態になってしまう。現実にそのようなことは起こっていないため、観測値ではなく理論計算が間違っていることは確かだ。ところが、素粒子論はすでに多くの実績を重ねて科学者からの支持を得ており、間違っているとは考えられない。
そのため、未知のプロセスによって暗黒エネルギーが120桁の精度で偶然、奇跡的に微調整(ファインチューニング)されたと考えざるを得ないが、それでは「偶然・奇跡」を退ける科学の基準から外れてしまう。「これに対する唯一の解決方法として『多宇宙論に基づく人間理論』が提唱されているのです」と阿部氏は説明した。
まず、「多宇宙論」とは何か。提唱者は、インフレーション宇宙論を提唱した東京大学名誉教授の佐藤勝彦氏だ。佐藤氏は、「無」から宇宙が誕生してから10のマイナス44秒後から10のマイナス33秒後までに起こったインフレーションの最中に新たなインフレーションが起こり、この宇宙とは別の宇宙が無数に誕生した可能性があることを示した。さらに佐藤氏は、それぞれの宇宙がさまざまに異なる物理法則を持つかもしれないと推論した。
多宇宙論に基づいた人間原理では、無数の宇宙の中に、人間が生まれるのに必要な条件を満たしている宇宙が存在しても不思議ではないと考える。そして、そのような宇宙で生まれた人間が宇宙を認識するのであって、他の宇宙では人間が生まれないので認識されることはない。だから宇宙は、人間が生まれるよう奇跡的に微調整されているように見えるというのだ。多宇宙論に基づく人間原理によれば、創造主の存在はもはや必要なく、偶然と幸運が人間を生み出したといえる。
しかし、「多宇宙論に基づく人間原理は強く批判されている」と阿部氏は指摘する。まず、他の宇宙が存在することを観測、通信、訪問などによって確認することはできない。もし確認されたなら、それはこの宇宙と「時間と空間」でつながっており、この宇宙に属することになる。そのため、多宇宙論は検証不可能であり、科学の基準からは外れているとの批判だ。さらに、多宇宙論に基づく人間原理は「創造主の位置に人間を置く」という宗教色を帯びたものであり、この点においても科学の基準から外れているとの強い批判がある。
阿部氏は、共に多宇宙論を支持しながら、人間原理を認めるスティーブン・ホーキング氏と、それを認めない佐藤氏の2人の見解を紹介した。
ホーキング氏は著書の中で、「マルチバース(多宇宙)の概念は、私たちのために宇宙を生み出した善意ある創造主の存在を必要とせずに、物理法則に微調整があることを説明できる」としている。つまり、宇宙が一つであれば暗黒エネルギーの微調整は奇跡だが、多くの宇宙が存在すれば人間原理によって創造主なしで微調整の説明ができるとの主張だ。
一方で佐藤氏は、自身の無神論的な見解について「物理学者は、世界の始まりからすべてを物理学の法則に従って記述したいと考えている。『神』をなくするのが科学の役割とも言えるからである」と述べている。そして、「マルチバースに安住することなく、その根源にある究極の理論を求め続けるべきだ」と主張する。
阿部氏は、「2人とも無神論的な自然主義を信奉し、多宇宙論を推進していますが、人間原理をめぐっては対立しています。人間原理は検証できないので、この対立は、人間原理を認める世界観と、それを認めない世界観との対立なのです」と説明した。
では、創造論やインテリジェント・デザイン(ID)論を受け入れる科学者は、人間原理についてどう考えているのか。阿部氏は、「創造論者やID論を信奉する科学者は、暗黒エネルギーの謎が解明できないことについて、神あるいは知的存在が暗黒エネルギーを微調整したことを示唆していると考えるか、『方法論的自然主義』に立って暗黒エネルギーの謎を解明すべきであると考えます」と説明した。
方法論的自然主義については、「科学者は自分の宗教的、哲学的な立場とは無関係に、超自然を排して科学の方法に従って自然を探究するべきである」とする考え方で「近代科学の基本理念」と話し、次のように解説した。
「自然主義には2種類あります。一つは一般的に用いられている自然主義で、無神論的な立場から『自然自体が一切の存在と現象を作り出しているので、すべての事柄を、超自然を排して科学の方法で説明すべきである』と考えます。これは、科学万能主義と同じで『無神論的自然主義』とも呼ぶべきものです。一方、方法論的自然主義では、科学的な研究をするための方法として超自然を退けます。近代以降、科学者は方法論的自然主義に基づいて自然を探究しています。従って、創造論あるいはID論を信奉していても、方法論的自然主義に立って暗黒エネルギーの謎を解明すべきであると考える科学者が存在するのです」
最後に阿部氏は、「皆様の中にもいろいろな考え方やご意見があると思います」とし、「このサイエンスカフェでは、さまざまな世界観に基づく最先端理論の実態を見極めつつ真理を探究することを目指しています。最先端科学の実態とそれをめぐって行われている論争を、公平な立場から紹介して科学の本質をご一緒に探究していきたい」と話した。
次回は「量子コンピュータを生み出した量子力学の謎―パラダイム論から学ぶ科学の本質」をテーマに阿部氏が講演する。前回までの講演内容を含め、講演会の関連情報をホームページなどで随時発信していくという。