ギリシャ正教の聖地アトスに20年近く通い続けたパウエル中西裕一司祭(日本ハリストス正教会)の姿を追った写真展「死は、通り道」が、東京都新宿区のアイデムフォトギャラリー「シリウス」で開かれている。
聖山アトスは世界遺産に登録されているが、正教徒以外の入山は厳しく制限されており、これまで現地の様子は広く語られてこなかった。写真展では、息子で写真家の中西裕人さんが中西司祭の巡礼に同行し、現地で撮影した作品約40点を展示。知られざるアトスの風景や暮らし、そこに住む修道士たちの貴重な写真も見どころの一つだ。
陸路では訪れることのできないギリシャ北東部の細長い半島にはおよそ20の修道院が点在し、現在も1700人の修道士が中世から変わらない、祈りを中心とした自給自足の生活を送っている。中西司祭は毎年のように現地を訪れ、修道士たちとの信頼関係を築いてきた。2000年から毎年、アトス最古のメギスティス・ラヴラ修道院を訪れて輔祭を務めるほか、12年からは同修道院付属のケリ(修道小屋)で司祭として聖体礼儀を行っている。
7月には、アトス巡礼の体験を基に、日本ではあまり知られていないギリシャ正教の信仰生活と教義について分かりやすくまとめた『ギリシャ正教と聖山アトス』を出版した。その中で、正教徒の死生観について次のように述べている。
私達は抗いがたい現実、不条理にたえず出会う存在です。そこに「喜び」というものはどうしてあるのでしょうか。それは、この世が真の世、真の人生ではないという「知恵」を深めること。それゆえクリスチャンにとって、死は、通過点なのです。修道士は、死は「お祭り」であるとまで言い切ります。そして、本当の生命は、今ここにあるものとは違ったものであり、それは神のみもとにあり、神が人となったキリストが、すなわち神自らが私達に、その生命があることを伝えたものなのです。それは未だ誰も体験していない隠されたものでありますが、それを確信することにより、この世の生を悔い改めとともに通り抜けて行けば、神をめざす道筋が確実にひかれているという安堵(あんど)感に満たされる、そこに「喜び」があるということです。正教信仰はその思いを確実にして、今を生きていく、この世のいとなみです。(224、225ページ)
裕人さんは、「このような時代だからこそ、正教を通して、祈りとは何か、生きるとは、死とは何かを考えて歩き続けた父の姿から、共に考え合える時間を会場で共有できれば」と話した。
4日まで。時間は午前10時から午後6時(最終日の4日は午後3時まで)。詳しくは、アイデムフォトギャラリー「シリウス」のホームページを。