イスラエル考古学庁(IAA)は、約2千年前にエルサレム神殿(第二神殿)が破壊された直後に、エルサレムの有名な巡礼路に建てられた建物の基礎部分から、珍しい形態のランプが発見されたと発表した。
タイムズ・オブ・イスラエル紙(英語)によると、発見されたのは青銅製のオイルランプで、男性の顔を半分に切ったような奇怪な形態をしており、1世紀後半から2世紀前半のものと推定される。エルサレム旧市街地南側の「ダビデの町」と呼ばれる地域で見つかり、建物の基礎部分に幸運を願って埋められたと考えられている。
IAAのユバル・バルーク氏は、「ダビデの町で発見されたランプの半分、実際には顔の半分は、世界でも数個しか発見されていない非常に珍しいもので、この種のものとしてはエルサレムで初めて発見されました」と述べた。
IAAの考古学者であるアリ・レビー氏はエルサレム・ポスト紙(英語)に、「この建物が重要で、建築物へのささげ物を埋めることでその幸運を願う必要があったのは、ローマ時代に町の中心的な水源としても使われていたシロアムの池に近かったからではないでしょうか」と語った。
また、イスラエルのハアレツ紙(英語)に対しては、「一般的に、建築物へのささげ物ははるか古代までさかのぼります。それは幸運をもたらし、建物を象徴的に守るため、そして攻撃者に恐怖と畏怖を与えるために一般的な建築で受け入れられていました。その意義は機能的なものではなく、極めて象徴的なものでした」と語っている。
レビー氏によると、考古学的文脈を持つ場でこのようなランプが発見されたのは、他にはハンガリーの首都ブダペストで発見された一例のみだという。
専門家の間では、この建物が建っていた巡礼路は、古代ユダヤ人が年に3回、「過越(すぎこし)祭」「七週(しちしゅう)祭」「仮庵(かりいお)祭」というユダヤ教の重要な祭りの際、エルサレム神殿があった「神殿の丘」に向かうために歩いた道だと考えられている。
レビー氏によると、この巡礼路は総督ポンテオ・ピラトの時代に建設され、紀元後30年ごろに開通し、70年に第2神殿が破壊されるまでの約40年間使用されたという。
バルーク氏は、「装飾された青銅製のオイルランプは、ローマ帝国の各地で発見されています。ほとんどの場合、これらのオイルランプはスタイリッシュな燭台の上に置かれたり、チェーンでつるされたりしていました。世界各地のコレクションには、こうした青銅製のランプが何千も所蔵されており、その多くは複雑な形態をしており、ローマ時代の金属芸術家らが持っていた芸術的自由性を示しています」と付け加えた。