「クリスチャンのスマホ依存を防ぐには?」をテーマに最近、2人の米国人牧師が語り合った。2人はこの問題がかつてないほど教会に浸透しているとし、スマホ依存に対処するための実践的なアドバイスも語った。
スマートフォンに対する依存症・中毒は今日、「牧会上の主要な課題」の一つである。そしてそれは、ここ数年に現れてきたものである――。シティーズチャーチ(ミネソタ州)の牧師で、作家、神学校教授でもあるジョー・リグニー氏は、米福音派ネットワーク「ゴスペルコアリション」が企画したQ&Aコーナーの動画(英語)でそう語った。
「教会で説教をしているとき、テクノロジーやスマホに対する(御言葉の)適用に話が及ぶと、会衆が『確かに何か間違っているような気がするけれど、何をすべきか分からない』という気持ちを持っていることが手に取るように分かります。なぜなら、それ(テクノロジーやスマホ)は生活に『必要不可欠』なものだと感じているからです。さまざまな面で非常に役に立つ、しかしどこかおかしいと感じるところがあるのです」
リグニー氏は、スマホ依存に対処するための最初のステップは、そもそもそこに問題があることを認めることだと話す。
「まずは牧師であれ信徒であれ、自分だけの問題ではなく、もっと広範囲な問題であり、現実の問題であることを認め、認識することだと思います。何より真正面から向き合うことが大切なのではないでしょうか。この小さなデバイスは、いわば地球上で最も賢い人たちが、あなたが常にそれを使うよう設計したものである。そして、あなたはスーパーマンではない。そのことを確認するのです」
リグニー氏は一日の始めに、スマホを手にするのではなく、聖書を手にし、祈りの時間を持つことを勧める。
「(朝にスマホを)我慢して、祈り、聖書を読むならば、ドアを開けて外に出るとき、きっと『ああ、良かった。良い朝だったな』と思うでしょう。それは子どもたちが起きる前に30分、家の中でスマホの画面をスクロールしていた場合とは違う気分です」
米ウェブ宣教団体「デザイアリングゴッド」の編集長であり、同じくシティズチャーチの牧師であるデビッド・マティス氏は、「自分の人生が何のためにあるのか、自分の人生とは何であるか」という問いに対する大きな感覚を得るには、「世界をチェックするのではなく、何事も祈りで始め、祈りで終える」ことが重要だと話す。マティス氏はまた、スマホ依存は子どもと過ごす時間など、人生において大切なものを奪ってしまうと強調した。
「大きな悲劇の一つは、このような贈り物と一緒に暮らしながら、それを小さなものや迷惑なものと見なしたり、自分が持ち歩いている素晴らしくも愚かなデバイスから引き離すものと見なしたりすることです」
「スマホを使っている時間が長くなると、体力を消耗します。疲れるのです。離れても目に違和感を感じ、感情的な疲れも感じます」とマティス氏。しかし反対に、愛する人と一緒に過ごしたり、人のためにエネルギーを使ったりすると、「気分が良くなります」と語った。
「精神的な面において重要なだけでなく、その背景には脳の化学的性質があります。つまり、スマホがいかに私たちを不活発にするか、一方で神様は私たちを不活発にするために造ったのではない、ということも一つのポイントです。その過程において闘いがあるのです」
リグニー氏は、「爽快な自由」を得るために、クリスチャンに意識してスマホを脇に置くことを勧め、こう付け加えた。「偶然に足かせが外れるのを待つのではなく、自分の意思でこの足かせを外したいから、(スマホを)遠ざけるのです」
スマホ依存が、うつ病やストレス、不安、その他の精神的な問題と関連しているという研究結果も数多くある。英コンタクトレンズ大手「ビジョンダイレクト」が最近実施した米国人成人2千人を対象にした調査(英語)によると、米国の成人は1日に平均で4・5時間もスマホを使っている結果が出た。
バージニアコモンウェルス大学のメンタルヘルスセラピストであるニーナ・シュローダーさんは、これらの統計を踏まえ、スマホなどの過度のスクリーン使用がもたらすリスクについて、よく理解する必要があると話す。
「(人々は)スクリーンがもたらす影響を完全には理解していないと思います。スクリーンの使用過多よる悪影響があることを理解してもらいたいです。スクリーンを使用することのすべてが悪いとは言いません。素晴らしい使い方もあります。しかし、どのくらい使っているか、どのように使っているか、いつ使っているか、そしてそれが自分にどのような影響を与えているかについては、注意を払わなければなりません」
著名な大衆伝道者で、信徒数1万人を超えるメガチャーチ「ハーベスト・クリスチャン・フェローシップ」(カリフォルニア州)の主任牧師であるグレッグ・ローリー氏は、クリスチャンポストに寄せた寄稿(英語)で、スマホ依存の解毒剤は、単にスマホから距離を置くことだと話している。
ローリー氏は、現代人がソーシャルメディアやスマホのような電子機器などの新しいメディアに多くの時間を割いているとし、「私たちは、メディアの嵐から離れる努力を意識的に行わなければなりません。永久に続ける必要はありませんが(それが最悪のアイデアというわけでもありませんが)、意識的に行う必要があります」と言う。「座って、お互いに顔を見て話し合う必要があります」
「今こそ教会や信仰のコミュニティーが前に踏み出す重要な時期です。これは、文化が持つすべてのものについて、『私たち版』を提供しなければならないということではなく、文化に著しく欠如しているものを提供するということです。私が語っているのは、本物の愛に満ちたコミュニティーのことです。それは、他者、特に若者たちのために外にまで出向いて関係を持ち、相談に乗り、彼らを『キリストの弟子』とする人々であふれたコミュニティーです」