東京都内や近県の諸教会・団体が協力して開催する「第58回首都圏イースターのつどい」が18日、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会(東京都新宿区)で開かれた。昨年は新型コロナウイルスの影響で半世紀以上にわたる歴史の中で初めて中止となったが、今年は入場者を制限し、連合聖歌隊による合唱を除いたプログラムにしたほか、検温や手指消毒、座席間隔を開けるなどの感染症対策を徹底した上で開催した。毎年演奏を行っている救世軍スタッフバンドも今年は映像で出演。教会音楽家の久米小百合さんがピアノ弾き語りで賛美をささげ、リバイバルミッション顧問の有賀喜一牧師が「死んでも生きる」と題し、ヨハネの福音書11章25~26節からメッセージを伝えた。
久米さんは、1年以上続くコロナ禍により、経済的、精神的に苦闘している人々が多くいることに言及。「イライラしたり、心配事があったりするとき、鼻歌でよいので、またどんな曲でもよいのでぜひ賛美をささげてほしい」と伝え、教会でイエス・キリストの十字架について語り合う中で生まれたという新曲「もしわたしが」など4曲を歌った。また、キリストの誕生(クリスマス)が書かれている福音書は2つのみだが、キリストの復活(イースター)は4つの福音書すべてに書かれていることを紹介。「イースターがあるから日曜日に教会に来て礼拝をささげている」と言い、キリスト教の原点にイースターがあることを語った。
今年で88歳の米寿だという有賀氏は、14歳の時にキリストを信じるようになった経緯を説明。それからの74年間、一度も救いに対する確信が揺らいだことはないと述べ、キリストの十字架と復活の事実性、またそれを通して実現した神の救いを力強く伝えた。
少年時代に親友の死に直面し、死後自分は天国に行くのか、地獄に行くのかを真剣に考えるようになったという有賀氏。自身の心の汚れを認識していたことから、座禅を組んだり、禅問答をしたりと、自分なりに難行苦行を積んだ。しかし、それによって死後どうなるかを尋ねても、僧侶は「死んでみなければ分からない」と答えるのみ。子ども心に「では、死んだら分かるのか」と考え、遺書を書いた上で鉄道自殺を試みた。線路の間に体がすっぽりと入り命は取りとめたが、救いに対する渇望はさらに高まっていった。
その後の大晦日の夜、お寺に向かう途中にクリスチャンの上級生と遭遇。半ば強制的に教会に連れて行かれることになるが、そこで初めて聖書の話を聞いた。教会にはスウェーデン人の宣教師がおり、初めて聞いた賛美歌もスウェーデン語だった。その日、教会で語られたメッセージは、①真の神は唯一である、②神は見えない存在であり、その神が人間の形を取って来られたのがキリストである、③そのキリストが私たちの罪のために死なれ3日目に復活された、④キリストを信じ受け入れれば、罪が赦(ゆる)され、神の子となり、永遠のいのちが与えられる、という救いの核心をまっすぐに伝える内容だった。
聖書のメッセージを聞くだけでなく、教会で祈ることも初めて経験した。祈りでは心に浮かんだ罪を一つ一つ告白していった。告白する中で、自分の罪深さがさらに重くのしかかっていったというが、教会の人からの促しも受け、キリストを「信じます」と告白。それ以来、74年間一度も自分の罪が赦されたこと、神の子となったこと、永遠のいのちを与えられたことを疑ったことはないと力を込めた。
自身の救いの体験を語った上で有賀氏は、キリストの復活は預言の成就であり、歴史的事実であることを強調。「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力」(1コリント1:18)であるとし、キリストが「わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」(ヨハネ11:25)と語ったように、キリスト者には永遠のいのちが約束されており、この言葉の中に偉大な救いの事実があると伝えた。メッセージの後には、救いの確信や病の癒やし、日本のリバイバルに対する願いを尋ねる有賀氏の呼び掛けに、参加者が手を挙げて応答した。
首都圏の教会が協力して開催するイースターのつどいは、放送伝道を行っている太平洋放送協会(PBA)がラジオ聴取者の決心の場として、1963年に新宿・伊勢丹デパートの屋上で開催したのが始まり。それ以降「連合イースターのつどい」「都民イースターのつどい」「東京イースターのつどい」と名称を変えつつ、現在の「首都圏イースターのつどい」に至るまで半世紀以上にわたって続いている。昨年中止となったことから今年で58回目の開催。今年はメッセージ部分のみ、後日動画で公開される予定(ユーチューブで「首都圏イースターのつどい」と検索)。