第23回断食祈祷聖会(同実行委主催)が11、12の両日、オンライン会議システム「Zoom(ズーム)」を用いて開催された。例年は東京都内の教会を会場に3日間にわたって開かれるが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大を受け、日程を短縮した上で初めてオンラインで開催された。1日目の11日は、アジアンアクセス・ジャパンのナショナルディレクターである播(はり)義也氏(恵泉キリスト教会埼京のぞみチャペル牧師)が「開拓伝道」について、『家族の危機管理』の著書がある松坂政広氏(上野の森キリスト教会副牧師)が「児童虐待と家庭形成」について語った。(2日目はこちら)
開拓伝道とは何か、なぜ必要なのか
播氏は数年前、日本福音同盟(JEA)の総会で開拓伝道について語ったとき、ある教団の責任ある立場の人から「日本には教会があり過ぎる」という意見が出たことを紹介した。教会が存在しない市町村が数多くある現実を目の当たりにしてきた播氏にとっては、驚きの意見だったという。しかし、こうした意見が出てくる背景には、主に次の4つの考えがあるのではないかと分析。教職・信徒の高齢化が進み、会員数も減少し続けている日本の教会の厳しい現実があり、それに取り組む教団指導者の苦労にも理解を示した。
<開拓伝道に否定的になる考えの例>
- 開拓伝道より既存教会の活性化が優先されるべき
- 開拓伝道は宣教師の働きであり、牧師は牧会に専念すべき
- 無牧教会が増えており、開拓伝道に遣わす働き人がいない
- 開拓伝道をするには資金が必要であり、既存教会の力が付くまではできない
一方、教会にはライフサイクルがあり、教会が「命の共同体」である限り、「命あるものは死ぬ」という原則の通り、いずれの教会もやがては衰えていくと説明。しかし、これは「自然な営み」であり「神様の計画のうちだと思う」と播氏。「だからこそ、次の世代を生み出していくこと、命を生み出し続けていくことをやめてはいけないのではないでしょうか」と、教会を生み出し続けていくことの必要性を語った。
その上で開拓伝道の目的は、教団や教会の教勢拡大や経済的繁栄のためではないと強調。その基本的な精神は、羊飼いのいない羊のように弱り果てた群衆を憐(あわ)れんだイエスの姿(マタイ9:36)にあるとし、「開拓伝道は一言で言えば、失われた人々への憐れみの心」という、教会成長の専門家であるボブ・ローガン氏(元フラー神学校教授)の言葉を紹介した。そのため播氏は、日本の教会の現状には心を痛めるとしつつも、日本にはいまだに教会が存在しない市町村が約3分の1に上る現実もあるとし、開拓伝道をしなければ、こうした地域の「失われた人々に誰が福音を伝えていくのでしょうか」と訴えた。
福音の「感染力」を高める
播氏によると、世界には平均すると、2400人に1つの割合で教会が存在するという。この世界平均の「教会密度」を日本で実現するには、約5万の教会が必要で、これは国内のコンビニの店舗数に相当するという。日本には現在、約8千の教会があるとされており、これを5万にまで増やすにはどうすればよいのか。播氏は、イエスが12人の弟子を育て、さらにその12人の弟子がまた新たな弟子を生んでいったように、教会も「増殖」していく必要があると言う。わずか1年で、世界の9千万人以上が感染した新型コロナウイルスを引き合いに出し、「パウロもペストのような存在だと言われた。新型コロナウイルスには感染してほしくないが、福音には感染してほしい。福音の『感染力』を高めていく必要がある」と語った。
福音の「感染力」を高めるにはどうすればよいのか。播氏は、救いの感動を絶えず新鮮に保つことが大切だとし、自身の救いの体験を語る証しの機会を積極的に用いることなどを例として挙げた。また、ウイルスの感染と同じく、福音の「感染」もどれだけ多くの人と接触するかによるとし、より多くの人と出会い福音を分かち合っていくことの必要性を強調した。
開拓伝道の土台はルカの福音書10章
播氏は開拓伝道について語るとき、ルカの福音書10章を土台にしているという。ここには、イエスが70人の弟子を派遣した場面が描かれており、イエスは弟子たちに「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のための働き手を送ってくださるように祈りなさい」(ルカ10:2)と語っている。「どうして日本には無牧教会が多く、教会が少ないのでしょうか。誠実にこの祈りを祈っていないからではないでしょうか」。播氏はそう言い、「収穫のための働き人」は宣教団体が遣わしてくれるものではなく、これから救われる人々の中から起こされていくものだと語った。
またイエスは弟子たちに、遣わされた地で「平安の子」(ルカ10:6)を見つけるよう促している。「平安の子」とは、何も持たずに遣わされた弟子たちをもてなし、助けてくれる存在だ。播氏は現代の開拓伝道においても、できる限り早い段階で「平安の子」を見つけることが大切だと語った。
埼京のぞみチャペルでは、毎年計画を立てて1、2週間程度の国内宣教旅行を行っているという。そこでも、1軒1軒家々を巡っては「この家に平安があるように」(ルカ10:5)と祈り、福音を分かち合っていく。そしてそうする中で必ず、共に祈ってくれる人や信仰告白をする人が起こされ、物品や食べ物をくれる人も出てくる。また、この時の出会いを通して洗礼に導かれた人もおり、新しく教会が生まれる動きさえあるという。昨年からは、新型コロナウイルスのために礼拝が全面的にオンラインになったが、それでも工夫をする中で礼拝に新しく参加する人が起こされており、播氏は「必ず主が道を示してくださり、聖霊に励まされて前進し続け、信者の数が増え、教会が築き上げられ平安を得ていくと信じています」と語った。
児童虐待の相談件数は19万件、9割は実の親から
続いて講演した松坂氏は初め、日本の児童虐待の現状について説明した。2000年に児童虐待防止法が施行されてから昨年で20年となったが、相談件数はこの間に9倍以上増え、昨年は19万件を超え過去最多となった。また内訳を見ると、その半数以上が心理的虐待で、ネグレクト(育児放棄)と身体的虐待がそれぞれ全体の4分の1程度。虐待者は半数が実母で、実父と合わせると、実の親による虐待が9割を占める。虐待を受けた子どもは、0~6歳の未就学児が4割を占め、年齢が低いほど虐待を受けやすい状況があるという。
松坂氏は、こうした現状を説明しつつ、すべての虐待は何らかの意味で暴力と関わりがあると話す。近年は少年による凶悪犯罪が取り沙汰されることが多いが、子どもの暴力は「親の生き方がおかしい」というサイン。少年院にいる子どもの半数は虐待を受けた経験があり、暴力が暴力を生む連鎖があるとし、それを断ち切る必要があると語った。
子どもの意思を尊重する 「討論」ではなく「対話」
その上で、家庭形成においては、①子どもの意思を尊重しているか、②家庭でコミュニケーションが機能しているか、③子どもが親から愛されていると実感できているか、④子どもの心に平安を愛する思いが刻まれているか――の4点が問われていると語った。
このうち、子どもの意思を尊重することについては、「子どもの言いなりになるのでもなく、子どもの言っていることを鵜呑みにするのでもなく、子どもの暴力を甘んじて受け入れるのでもない」と指摘。たとえ自分の要求が通らなかったとしても、「自分が伝えたかったメッセージが親に届いた」と子どもが思えることだと説明した。
コミュニケーションについては、「自分が正しく、相手が間違えている」という姿勢が討論であり、「話し合った結果、自分がどのように変われるかを楽しむ」という姿勢が対話だとし、討論ではなく対話をする大切さを強調。保育園や幼稚園の先生のズボンは膝がすり切れているという話を紹介し、「ズボンの膝がすり切れるほど、子どもたちと同じ目線になって対話をし、向き合い、時間を共に過ごし、主の恵みを分かち合うところに、私たちは召されているのではないでしょうか」と語った。