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孤児の父―ハインリッヒ・ペスタロッチの生涯

孤児の父―ハインリッヒ・ペスタロッチの生涯(6)取り残された子どもたち

2019年5月1日07時59分 コラムニスト : 栗栖ひろみ
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1770年8月12日のことであった。ペスタロッチに1万5千グルデンの借用貸付をした銀行家ハウプトマン・シュルテスがやってきて、ペスタロッチの事業は将来発展が見込まれず不安定だからと共同経営の打ち切りを宣言し、貸付金の返済を迫った。

寝耳に水の思いで、彼は事業のために蓄えた金と、アンナの実家の援助により金を返済したが、途端に貧困が家に押し寄せ、家計を脅かした。このような時に、長男のハンス・ヤーコプが誕生した。この子は生まれつき虚弱体質で、いつもむずかってばかりいて手間がかかった。

友人、知人の多くはペスタロッチの事業の失敗を知ると遠ざかり、夫妻は孤立無援のまま取り残された。そんな中にあっても、ペスタロッチは自分の農園に出かけ、飼料用草木の栽培を続けたのである。

しかし、これで生活していくためには計画していた以上の土地を買い取らなくてはならなかった。その上、彼は自分たちの住居を自分で設計し、かなりぜいたくな素材を使って建てようとしていた。このために、無理な出費を重ね、財政的に破綻し、結局建物は完成せずに大きな失敗を被ったのであった。

しかしながら、彼の事業の失敗の真の原因は、この年から始まった世界的な凶作であった。これは2年間続き、ヨーロッパ中に飢饉が広がった。いくら農地を耕しても草木は育たず、ペスタロッチはついに農業を諦めずにいられなかった。

そこで彼はこの失敗を、今度は木綿工業に置き換えることにした。彼はイノホーフの中に機械を運び入れ、親戚や友人、知人に呼びかけて木綿の梱(こうり)を持ってきてもらって、これを紡ぎ始めた。そしてアンナは、ヤーコプを背負いながら機織り機に向かって慣れない手つきで機を織り始めた。

しかし、この事業も長くは続かず、過重な労力と手間がかかりすぎたために、挫折した。ペスタロッチ一家は新婚家庭であったミュリゲンの農家を出て、ノイホーフに住居を移した。

そんなある日のことであった。彼が農地を耕すために出かける途中、丘の小道で行き倒れになった少年を発見した。よれよれの服を着た、骨と皮ばかりになった子で、顔や手足には打ち身や傷の跡がついていた。

ペスタロッチが弁当のパンとチーズ、そして水筒の水を与えると、少年は野獣のように飛びついてきてガツガツと飲み食いした。それから、両手で口を拭いて「うまい」としゃがれ声で言った。どうやら両親をなくして路頭に迷っているのを自治体に保護され、貧しい農家に奉公に出されたようだった。

農家では幾らかのお金を自治体からもらって里子を引き受けたのだが、十分な労働力が得られないためにろくに食事も与えずにこき使い、揚げ句の果てには物乞いをさせ、金をもらってこないと打ったり蹴ったりの暴力をふるうので、ついに奉公先を逃げ出してきたのだという。

(かわいそうに。農村の貧困がこういう子どもにも影響しているんだ)。ペスタロッチはその少年をノイホーフの家につれて帰り、体を洗って髪をくしけずってやってからパンとスープをおなかいっぱい食べさせた。

「もう心配いらないよ。きみは今日からこの家の家族だからね」。そう言うと、いきなり子どもはペスタロッチに飛びつき、泣きじゃくった。「おじさん、ぼくをここから追い出さないで。つれ戻されたら、ひどい目にあわされるの」

「まあ、かわいそうに」。アンナは、ヤーコプを背負ったままで子どもを引き寄せ、その髪をなでてやった。「私たちをお父さん、お母さんと思って安心してこの家で暮らしなさいね」

それから幾日もたたないうちに、ペーターと呼ばれる少年の頬には赤みがさし、その目に柔らかな光が宿るようになった。ペスタロッチ家の粗食――じゃがいもとかぶのスープとパン――しか取らないにもかかわらず、目に見えて元気になってきたのである。

「お父さん、ぼくにも何か手伝わせて」。ある日、ペーターはこう言ってペスタロッチを驚かせた。そこで、木綿を紡いだり、機を織ったりすることを教えると、彼はすぐに覚えてできるようになった。その時、ペスタロッチの心にある考えが浮かんだ。

(そうだ。ペーターのように悲惨な境遇の子どもたちに仕事を教えたら、彼らを物乞いから守ってやれるではないか。将来彼らの生活を支える助けにもなる)。ペスタロッチは翌日、州の自治体の長官を訪ね、里子にするような子どもがいたら引き取りたいと願い出た。すぐに2人の男の子と1人の女の子がノイホーフの家に引き取られたが、彼らはいずれも悲惨な境遇の子であった。

*

<あとがき>

私たちの人生は、出会いによって作られてゆくものです。ペスタロッチの場合、一人の惨めな境遇の子どもと出会ったことによって、自分の天職を知ることになります。彼はこの時から「見捨てられた子どもを救済し、まともな人生が歩めるよう養育する」という児童福祉の仕事を神から授けられたのでした。まさに、彼が社会改良家から教育者に変身した瞬間でした。

彼が出会ったのは、口べらしのために奉公に出され、その奉公先で虐待を受けて逃亡し、死にかけていた少年でした。この子どもをペスタロッチは家につれて帰り、食物を与え、衣服でその傷ついた体を包み、家族同然に手厚く世話したのですが、少年の一言で、彼は新しい使命を見いだしました。

「お父さん、ぼくにも何か仕事をさせて」。この時、彼は子どもが将来自活できるように「職業教育」と、その心に信仰を植えつけるために「宗教教育」を施す計画をその心のうちで決めていたのです。

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◇

栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。その他雑誌の連載もあり。

※ 本コラムの内容はコラムニストによる見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
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