命の福音を受け入れた人たちが、みな友好的な隣人に限られていたわけではありません。古いギリシャ・ローマ世界の辛らつな敵もまた、神の言葉に耳を傾けました。しかもその動機が奇抜でした。
西ゴートの海賊が、ギリシャや小アジアに、破壊的な襲撃をかけたことが伝えられています。ゲルマン族戦士の大群は、金、銀、鉄、絹、麻、香料などの略奪だけで満足したわけではありません。捕らえた住民を連れ去って、奴隷としたのです。
ところが、略奪者ゴート人の不幸な犠牲者の中に、数人の熱心なキリスト教徒がおり、その人たちのつつましい信仰と、おのずと分かる清い生活が、福音の光をこの好戦的な征服者にもたらしたのです。
ローマは、征服しきれなかった者を、しばしば同化しようと試みております。そこで、何べんかゴート人に手痛い打撃を与えたのち、紀元332年に、ローマの軍団は、ローマ帝国防衛の誓いを立てたゴート人兵士に入隊の道を開きました。といっても、ゴート軍の地位は、むしろ待遇のよい人質ぐらいのものだったでしょう。
このゴート人のある部隊で、一種の従軍牧師のような仕事に就いていた者に、ウルフィラス(311~383)と呼ばれた人がいました。公的には、この人は兵隊のための聖書の「読み手」ということでした。
ウルフィラスが、武装した戦友たちの話すゲルマン語に神の言葉を翻訳する必要を初めて感じたのは、コンスタンチノープル近辺に駐とんする、ゴート人戦士と共に勤務していたときのことと思われます。ウルフィラスの説教者としての能力、ギリシャ、ラテン、ゴート語の知識、それに加えてその行政的手腕は、その地区の教会指導者の注意を引いていました。
間もなくエウセビウス(第31代ローマ教皇)は、まだうら若いこの人をゴート人の司教に任命しました。ところが、彼の主な任務は宣教師でしたから、肩書の方が彼の教会よりも立派だったわけです。ウルフィラスは、説教し、バプテスマを授け、気短で宗教ぎらいの王の圧迫に対抗して、監督管区を組織していかなければなりませんでした。
7年の間、ウルフィラスはドナウ川の北方で小さな羊の群れを励ましたり、礼拝よりも戦いの好きな兵士たちに傾聴させるように努力したのです。しまいにゴート人の将軍たちは、この説教者の顔を見るのもいやになり、その追随者も合わせて国外へ追放してしまいました。
このゴート人の司教はコンスタンティヌス帝に嘆願して、ローマ帝国の圏内に子羊の避難所を求めました。そして、ついに信徒にドナウ川を渡らせ、今日のプレベン付近に定着させることに成功し、「ゴート人のモーセ」という称号を頂くことになりました。
ウルフィラスが福音の宣教を実行するのに、ドナウ川を越えて、どの辺まで行けたかは確かではありません。また当時、彼が時間と精力を消耗した神学上の論議がどの程度のものであったか、私たちに知る術はありませんが、ウルフィラスの称賛に価する不朽の業績は、聖書のゴート語訳でした。
昔の研究者の中には、ゴート語アルファベットの発明を彼の功績に帰している者さえおります。ウルフィラスがゴート語の文字を洗練し、多くの改良を加えたことは疑いもありませんが、彼より前の人が、ゴート語に多いと思われる奇妙な音を表記するため、ギリシャ語やラテン語のアルファベットにある程度の改変を加えたものと考えることができます。
といっても、文字の使用法は著しく一貫性を欠いています。それは、同時代の人たちがいろいろな綴(つづ)りでウルフィラスの名を書いていることでも明らかです。Vulfila、Gulfila、Ulfila、Oulphilas、Ourphilas、そして Wulfila などで、これらはすべて「小さな狼(おおかみ)」を意味するゴート語名詞の音訳です。
同様の問題は、ギリシャ語からの借用語をゴート語に音訳することにも見られます。綴り字の不一致の幾つかは、当時のゴート語とギリシャ語の発音に関する重要な手掛かりとなっています。
ウルフィラスの新約聖書のかなりの部分は、今でも有名な「銀写本」(9)の中に保存されており、また彼の旧約聖書の断片の幾つかを、私たちは二次的な資料から知ることができます。彼の翻訳は、ただ単に、その貴重な伝道的貢献のためだけではありません。私たちの使用している英語(すなわちゲルマン語族の1つ)の源について豊かな情報を与えてくれるために、私たちは彼の翻訳から二重の恩恵を被っているわけです。
ウルフィラスが、彼の死、すなわち紀元383年ごろ以前に、聖書を完訳したかどうか分かりませんが、およそ、その20年後に、彼の翻訳助手たちが、世界的に著名な学者ヒエロニムスと文通していることが分かっています。その頃、ヒエロニムスはベツレヘムにある僧院の奥まった一室で、聖書をラテン語に翻訳していました。
これらのゴート人翻訳者は、聖書の難解な箇所について、さらに多くの知識を欲したわけです。聖書翻訳者が、同志と連絡することに何ら不思議はありません。彼らの問題といえば、今でもおよそ同じことなのですから。
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【書籍紹介】
ユージン・ナイダ著『神声人語―御言葉は異文化を超えて』
訳者:繁尾久・郡司利男 改訂増補者:浜島敏
世界の人里離れた地域で聖書翻訳を行っている宣教師たちと一緒に仕事をすることになって、何百という言語に聖書を翻訳するという素晴らしい側面を学ぶまたとない機会に恵まれました。世界の70カ国を越える国々を訪れ、150語以上の言語についてのさまざまな問題点を教えられました。その間、私たち夫婦はこれらの感動的な仕事の技術的な面や、人の興味をそそるような事柄について、詳細なメモを取りました。
宣教師たちは、未知の言語の文字を作り、文法書や辞書を書き、それらの言語という道具を使って神の言葉のメッセージを伝えるのです。私たちは、この本を準備するに当たって、これらの宣教師の戦略の扉を開くことで、私たちが受けたわくわくするような霊的な恵みを他の人たちにもお分かちしたいという願いを持ちました。本書に上げられているたくさんの資料を提供してくださった多くの宣教師の皆さんに心から感謝いたします。これらの方々は、一緒に仕事をしておられる同労者を除いてはほとんど知られることはないでしょう。また、それらの言語で神の言葉を備え、有効な伝道活動の基礎を作ったことにより、その土地に住む人々に素晴らしい宝を与えられたことになります。その人たちは、彼らの尊い仕事を決して忘れることはないでしょう。
本書は説教やレッスンのための教材として役立つ資料を豊富に備えていますが、その目的で牧師や日曜学校教師だけのために書かれたものではありません。クリスチャン生活のこれまで知らなかった領域を知りたいと思っておられる一般クリスチャンへの入門書ともなっています。読者の便宜に資するために3種類の索引をつけました。①聖句索引、本書に引用されている聖書箇所を聖書の順に並べました、②言語索引、これらのほとんど知られていない言語の地理上の説明も加えました、③総索引、題目と聖書の表現のリストを上げました。
ユージン・ナイダ
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