翻訳委員会の人全員の重要さが同じで、同じ方面の貢献をするわけではありません。土地の宗教に非常に詳しい人もいるし、言葉の文法的な言い回しを正す人もあり、また何か新しい隠喩や直喩を探して、新しい宗教体験を記述できる人もいます。いずれにしても、それぞれ何かで役立つのです。
翻訳者が片時も忘れてならないことは、本質的には、常に新しい「福音」が新しい環境で語られることになるとはいえ、それを表す一語一句は、古来の生活様式から生まれ、古い信仰の中に意味が確立されているものであるということです。「霊」に相当する語は、悪霊についての異教の信仰のにおいを持っているであろうし、「神」に対応する単語も、創造者についての古代の伝統の響きを伝えていることでしょう。また、「罪」という言葉は、初めのうちは、原住民の社会的タブーを反映させたり、対照させたりしたものとして理解されるでしょう。
翻訳者はしばしば、極めて重要な語句の幾つかを、異教のまじない師のお世話になることがあります。何年もの間、エフライン・アルフォンセは、「神」に相当するバリエンテ語を探しておりました。多くの人は、その語を知りません。中には知っていても教えることを拒んだ人もおりました。恵み深い創り主に対する信仰はあったのですが、その御名は、魔術の手ほどきを受けていない者には、神聖すぎるというので、知らせていないのです。
ある時、アルフォンセは、バリエンテ人の助手たちを連れてボカスデトロ(7)の熱帯雨林の奥まったところにいる1人の年老いた呪医の女を訪ねました。非常に崇拝されていながらも、気味の悪い老女の前に案内された後、一行は彼女の尋ねる多くの問いに対し詳しく答えました。ついにこの老女は、声高く歌い始め、声が次第に高くなるにつれて、恍惚(こうこつ)とした夢心地で誰にでも聞こえるくらい大声で叫んだものです。「この人たちは天地の神 Ngobo(ンゴボ)のことを話しているのだ。この人たちの言うことを聞け!」
こうして、数年間アルフォンセが求めに求めていた言葉 Ngobo の名前が分かったのでした。この言葉は、現地の占い師で、女の口寄せの唇から出たものではありますが、誰もがこれは神の名だと異口同音に言うので、その後何年もバリエンテのキリスト者は、これを使ってきています。
時に、翻訳者は、土地の伝説と、キリスト教の言葉や概念を思わせるものとが、不思議に混ざり合っているのに出くわします。南メキシコのオスチュック地域のツェルタル人は、何もかもすっかり聖トマスを信心していて、毎年酒盛りの祝祭をして礼拝します。聖トマスがトウモロコシを授けてくれたと思っているのです。かつてトマスが彼らの土地を歩いていたとき、彼が杖で地面に触れると、どこからでも泉が湧き上がってきたのでした。
彼らの信仰によれば、神が地球を創った。ところが神は、現在は遠くにいて、人類を破壊させようという悪巧みをしている。神が人間に代わる「そっくりさん」を創り、それを人間にとって代わらせるためにこの世に送ろうとしていたのだ。しかし、聖トマスのとりなしのおかげで神の怒りが人類に下るのを押し止めることができた、というのです。
さらに、彼らは世界が平らで4つの柱に支えられ、そのうちの1本に反キリスト者が鎖でつながれているというのです。彼が自由になって人類を滅ぼそうとして、もがくので、しばしば地震が起きる。ところが、この聖トマスこそ反キリストを初めて鎖につなぎ、今でも縛りつけたままにしている人なのです。
どちらかといえば、人々はイエスのことをたまにしか思い出さず、もっぱらイエスはユダヤ人に縛られたときにひどく怒って、人類を滅ぼそうと、全宇宙に洪水をもたらしたというふうに考えているのです。これほど多くの、全く間違った考えの中では、各節各文の意味を人々が十分に理解しているかどうかを、翻訳者が特に警戒して確かめなければならないというのも当然のことです。
宣教師たちは普通、意味をゆがめられた話や真理の曲解をどのように取り扱うべきかをよく心得ています。それを矯正するには、真理を、神の言葉に表されている通りに、確信を持って説明しさえすればよいのです。ところが、最初はどうしても宣教師に分からないような反応を現地の人が示すことがあります。
南部メキシコの、あるチョル人に向かって、善良かつ正義の人、バプテスマのヨハネが真実を述べたために、いかにして投獄され、ヘロデによってむごくも殺害されたかを宣教師たちが話していると(マタイ14:1~12)、人々はどっと吹き出しました。この笑いは鈍感な感情のせいであると思うかもしれませんが、そうではなかったのです。彼らはヨハネに同情したあまりに笑ったのです。
葬儀の時、彼らは泣きません。むしろ泣くまいとして心の底から笑いほうけて、自分たちの深い悲しみを表すのです。しかし、時に彼らは、喜びのあまり泣くこともあります。翻訳助手は、ようやくマタイによる福音書の翻訳を終えて、一番最後の節が出来上がったときに、泣き出してしまいました。
<注>
(7)「ボカスデトロ」、原語では「Bocas del Toro」であるが、なぜか地図では、上記のように表記されている。
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【書籍紹介】
ユージン・ナイダ著『神声人語―御言葉は異文化を超えて』
訳者:繁尾久・郡司利男 改訂増補者:浜島敏
世界の人里離れた地域で聖書翻訳を行っている宣教師たちと一緒に仕事をすることになって、何百という言語に聖書を翻訳するという素晴らしい側面を学ぶまたとない機会に恵まれました。世界の70カ国を越える国々を訪れ、150語以上の言語についてのさまざまな問題点を教えられました。その間、私たち夫婦はこれらの感動的な仕事の技術的な面や、人の興味をそそるような事柄について、詳細なメモを取りました。
宣教師たちは、未知の言語の文字を作り、文法書や辞書を書き、それらの言語という道具を使って神の言葉のメッセージを伝えるのです。私たちは、この本を準備するに当たって、これらの宣教師の戦略の扉を開くことで、私たちが受けたわくわくするような霊的な恵みを他の人たちにもお分かちしたいという願いを持ちました。本書に上げられているたくさんの資料を提供してくださった多くの宣教師の皆さんに心から感謝いたします。これらの方々は、一緒に仕事をしておられる同労者を除いてはほとんど知られることはないでしょう。また、それらの言語で神の言葉を備え、有効な伝道活動の基礎を作ったことにより、その土地に住む人々に素晴らしい宝を与えられたことになります。その人たちは、彼らの尊い仕事を決して忘れることはないでしょう。
本書は説教やレッスンのための教材として役立つ資料を豊富に備えていますが、その目的で牧師や日曜学校教師だけのために書かれたものではありません。クリスチャン生活のこれまで知らなかった領域を知りたいと思っておられる一般クリスチャンへの入門書ともなっています。読者の便宜に資するために3種類の索引をつけました。①聖句索引、本書に引用されている聖書箇所を聖書の順に並べました、②言語索引、これらのほとんど知られていない言語の地理上の説明も加えました、③総索引、題目と聖書の表現のリストを上げました。
ユージン・ナイダ
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