低く穏やかに、農民たちの口元からロザリオの祈りが漏れ出てくる。エルマンノ・オルミ監督の映画「木靴の樹」は、つつましい日々の営みに根を張った祈りの美しさを、静かに教えてくれる。
1978年、カンヌ国際映画祭での最高賞パルム・ドールをはじめ、各国の映画賞を受賞した本作は、19世紀末の北イタリア、ロンバルディア地方ベルガモの農村に生きる人々を描く。
欧州全体が近代化のただ中に置かれていた時ながら、農村部ではいまだ、古くからの営みが息づいていた。大地を踏みしめながら季節の巡りの中で暮らす日々は、美しくも映る。
しかし、その暮らしは常に貧しさとともにあった。農地や住居、畜舎、農具、ひいては樹木の一本一本に至るまで、日常に関わるほとんどのものが地主の所有に属し、収穫の3分の2も地主のものとなる。彼らはそんな生活条件の中、時に厳しい日々を余儀なくされるも、隣り合う家族たちと共に生命の巡りを味わいながら生きていく。
物語は、村の教会で神父がある夫婦に、息子を学校に行かせてはどうか、と勧める場面から始まる。夫婦は神妙な面持ちで話を聞きつつ、両親としての言い分を漏らすも、神父に説き伏せられてしまう。この夫婦の幼い息子ミネクが学校に通い始めることを軸としながら、村の一人一人が表情をのぞかせるドラマが、生き生きと肉付けされていく。作物の収穫、夜の集会、家族の会話。言ってしまえば、なんてことない日常的な風景だ。
しかしそこには、1日1日織り重ねられていく穏やかな生活の美しさがまたたいている。そしてそんな素地の上に、新たな生命の誕生や若者たちの恋と結婚、また日々にふと立ち現れる困難などが置かれていくことによって、物語に濃淡が生まれていく。
カメラは、ある種淡々とした農民たちの日常風景と、そこに起きるドラマを映す。派手な演出はなく、むしろドキュメンタリーとの親近性さえ感じさせる。自然光とロウソクの灯火(ともしび)だけを光源とした穏やかな映像や、実際にベルガモに暮らす農民たちが役を演じたことなども、そんな風合(ふうあ)いを生むのに一役買っているのだろう。
ストーリーの中で際立った節目となるのが、ミネクの木靴をめぐる出来事だ。ある日、ミネクは足を濡らしながら家に帰ってきた。帰り道で片方の木靴が割れてしまったのだ。それを見た父親のバティスティは、その夜、こっそりと川辺のポプラ並木へ向かい、小柄な1本を切り倒す。切った木の幹をマントに隠しながら家に戻ったバティスティは、ロウソクの明かりの中、木片を丁寧に削り小さな木靴を作り始める。
しかし、その木も地主のものであった。ミネクのためを思ったこの行動が、彼らに悲劇をもたらしてしまう・・・。
本作で心に留まるのは、そんな風景に根づく祈りのシーンだ。貧者のジョパが家を訪れ、隅のマリア像に向かってつたなく祈る。家族も共に祈り、食事を分け与える。あるいは、夜の集会でさんざん笑い話をした後、「では、祈りましょう」と始められた祈りに、皆が呼吸を合わせていく。
そして、ミネクの両親、バティスティとバティスティーナのもとに新たな命が誕生した日。奇しくも、それはミネクの木靴が割れた日だった。夜も更け、家族が眠りに就こうとするころ、バティスティは1人階下へ降り、薄暗い中で木を削り始める。階上の寝室では家族が静かにロザリオの祈りを唱え、階下ではそれに合わせバティスティも祈る。柔らかな明かりと薄闇の混じる中、交わる響きは静かな唱和となる。
そんなふうに、この映画には日々の生活に息づく祈りが優しく描かれている。しかし、その風景を特別美しく切り取ろうとすることはなく、生活音の中で、また日々の仕草(しぐさ)とともに、彼らが生きる姿に全く同居した祈りを真摯(しんし)に映しているのだ。毎日の呼吸に乗って紡がれる素朴な祈りのまばゆさを、あらためて私たちに気付かせてくれるだろう。
祈りが描かれるシーンの中でも、ルンク未亡人に訪れる奇跡の場面は特に印象的だ。早くに夫に先立たれたルンク未亡人は、6人の子どもを育てるために毎日あくせくと働いている。そんな中、家畜の牛が病気になってしまう。獣医からも見放され、屠殺(とさつ)してせめて金にすることを勧められるも、一家が頼りにしている牛を思うと、彼女はどうしても同意できない。
悲痛な面持ちで悩む中、未亡人はふとぶどう酒の空き瓶を抱えて家を抜け出す。祈りをつぶやきながら橋を渡り、林を抜けてたどり着いたのは村の小さな礼拝堂だ。そこで彼女はひざまずき、十字架のイエス像に向かって祈る。祈りを続けたまま、礼拝堂の横を流れる小川の水を空き瓶にくむ。礼拝堂に戻り再び祭壇を見つめるが、相変わらずがらんとしたままの礼拝堂には、静かにイエス像が佇んでいるのみだ。
家に戻った未亡人は、ここでも祈りを唱えながら、小川からくんだ「聖水」を牛に飲ませる。さて、彼女の祈りは聞き届けられるのか・・・。私たちがそう気をもむ中、奇跡は訪れる。
ここに現れる奇跡は、決して華々しくは描かれない。普段どおりの陽光の中、そこにふと佇んでいる。しかし、そんな静かな奇跡こそが生む感動があるだろう。がらんとした礼拝堂で未亡人が見つめるイエスは何も答えなかったが、静けさの中、確かにその祈りを受け取り、口をつぐんだままに返事をしたのだ。祈りとは、信仰とは、奇跡とは・・・。そんなことが、ささやかに語られる美しいシーンだ。
自然光の風景と人々の素朴な営みが織りなす美しさは、現代に生きる私たちに、何か忘れてはいけないものをそっと教えてくれるだろう。約3時間と長丁場になる映画ではあるが、豊かな映像とそれに差し込まれるオルガンによるバッハの楽曲は、その長さを忘れさせてくれる。他に類を見ない深みを持つ本作、ぜひ味わってみていただきたい。
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有川あさみ(ありかわ・あさみ)
1990年生まれ。キリスト教系の大学を卒業後、会社員生活のかたわら、趣味が高じて文筆を始める。興味は、主に映画、文学、音楽など。現在、カトリック教会で求道中。
■ 映画「木靴の樹」予告編