「善をなしうるとっておきの機会は絶対に逃がさないこと、銃にはいつも弾をこめておくこと、獲物を見つけたらそれを狙ってすぐ発砲せよ、獲物は決して人を待たないからである。隣人に善をなす機会を見つけたなら、それを逃さないこと、明日まで延ばさないで今日それをせよ、何故ならその機会は二度と帰ってこないからである」。
これは新島襄が言った言葉とされています。(新島襄のことを知らぬ人が同志社にもいるそうな。学生いわく大阪城なら知っていますが、新島城ってどこにあるんですか?だって。ああ、合掌!)
「チャンスの女神は前髪しかない」と諺にあります。準備し、備え、待ち構え「いよいよ来たな」と前髪をムンズと摑える、そうした機会への心構えと、機会をとらえるタイミングが大切です。
「明日まで延ばさないで今日それをせよ」。
「できません」と「明日にします」これが伝道を妨げる双璧だと言われます。
南米では「まあ気軽にやろうや」というのをアスタマニアーナというようです。これって日本語と同じですね。だって「あしたで間に合うな」となりますから。
とにかく「いつか、そのうち、近いうち」「やがて、近々、折りをみて」なんて言っているうちに「遂に、とうとう、やっぱり」ダメだったということになるのは近いのです。
さらに新島襄は言っています。
「主のために人を得るのは重大な仕事である。銃に生命の火薬と天から授かった弾をこめ、いつでも撃つ用意ができていなければならぬ。人を得ようとする狩人の中には、銃に弾を込めないでいる人が多い。だからキリストの王国は人々の間にもっと早く拡がらないのである」。
み言葉の弾をこめること、機会をはずさぬこと、この二つを一つとして行きましょう。
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山北宣久(やまきた・のぶひさ)
1941年4月1日東京生まれ。立教大学、東京神学大学大学院を卒業。1975年以降聖ヶ丘教会牧師をつとめる。現在日本基督教団総会議長。著書に『福音のタネ 笑いのネタ』、『おもしろキリスト教Q&A 77』、『愛の祭典』、『きょうは何の日?』、『福音と笑い これぞ福笑い』など。
このコラムで紹介する『それゆけ伝道』(教文館、02年)は、同氏が宣教論と伝道実践の間にある溝を埋めたいとの思いで発表した著書。「元気がない」と言われているキリスト教会の活性化を期して、「元気の出る」100のエッセイを書き上げた。