韓国宗教平和国際事業団(IPCR)と韓国宗教人平和会議(KCRP)が主催する「IPCR国際セミナー2016」(世界宗教者平和会議[WCRP]日本委員会共催)が9月2日から4日までの3日間、「東北アジア平和共同体構築のための課題」をテーマに、立正佼成会横浜普門館(横浜市)で開催された。2日目のセッションⅡでは、「和解のためのプロセスとメカニズム」をテーマに話し合いが行われた。
初めに、コーディネーターのチャン・フェンレイ氏(中国・中国人民大学教授、仏教学)は、セッションⅠで話し合ったことに「どのようなメカニズムが必要か、そして実際に使えるような手だてはあるか、それによってわれわれが平和の目的を達成するということがテーマになっている」と説明した。
次に、スピーカーとしてカトリック信者である松井ケティ氏(WCRP日本委員会和解の教育タスクフォース運営委員、女性部会委員、清泉女子大学教授)が「和解のプロセスとメカニズム」と題して発題し、東北アジアでできる和解のプロセスの応用と実例を紹介した。
松井氏は、「和解が成立するには『①真実を明らかにする、②加害者による誠実な謝罪、③被害者による赦(ゆる)しの心、④共感する努力、⑤償いをする、人権を守る、排他的ではなく包括的な社会を築く』という、時間をかけたプロセスが必要であると強調し、「そのためには対話も欠かせない」「対話による和解は関係を修復するプロセスである」と付け加えた。
「①真実を明らかにする」ことについて、「抑圧した者は過去と向き合う必要がある。和解の過程では加害者も被害者も真実に向き合い、過去の出来事を正しく理解し、双方話し合える場を確立することである」などと述べた。
「②加害者による誠実な謝罪」については、「償いとは、信頼を築き、真実を明らかにし、非を認め、謝罪の伝達をし、賠償金を払うことを含む行為である。中でも、謝罪は紛争後の癒やしに大きく貢献できる」などと述べ、「被害者が過去のトラウマを乗り越え、癒やされるためには加害者の心からの謝罪は欠かせない」とした。
次に、「③被害者による赦しの心」について、「赦しは内面的で心理的なプロセスであり、反対に和解は外面的で人と関わるプロセスである。赦しは感情性で与える行為だが、和解は信頼を築く関係性であり、信頼の修復を得る行為である」などと語った。そして、「赦す行為は被害者の心身の健康にもつながる。赦しは、心に影響を与え続けた恐れや怒りなどから自由になる。赦しは過去の苦痛を取り払い、癒やす」と述べ、「赦しとは、起こってしまったことを真剣に受け止めることである」などと付け加えた。
「④共感する努力」については、「共感性は和解のプロセスに欠かせない」と指摘。また、「⑤償いをする、人権を守る、排他的ではなく包括的な社会を築く」ことについて語り、償いの方法の1つである修復的正義は「被害者個々のニーズを理解し、そのニーズに応えないかぎり成立しない」とし、「ニーズを基本とした修復的正義は加害者の福利も修復する。それによって双方の人権を守り、国や地域、社会全市民を集団的福利に導き、排他的ではなく包括的な社会を築くことができるのである」と述べた。
続いて、東北アジアの和解プロセスに応用できるメカニズムの実例として、南アフリカの伝統的哲学に基づく「ウブントゥ(Ubuntu)」と、ハワイ・ポリネシアの和解手法「ホーポノポノ」を挙げた。
ウブントゥについて松井氏は、「地域形成、人間の尊厳、分かち合い、共感性、寛容性、共通利点と思いやりを表している」「地域の平和と他を慈しむ心を強調し、人間として生きる意味を示している」と説明。「日本と隣国の和解のプロセスには、過去の真実を認識し、互いを尊重し、分かち合い、慈しむことで東北アジアの国々が良好な外交的関係を築き、平和構築への共通目標を持つ団結した社会として共存し、共通の未来に向かって歩くことができる」と述べた。
ホーポノポノについては、「ポリネシア語で『正しく戻す』という意味を持つ和解への手引きを意味する。対立転換と和解へのアプローチの1つである」と説明。1)それぞれの立場から見て何が起こったのか、2)なぜ起こったのか探求する、3)責任を分かち合い、したこと、しなかったことをも謝罪する、4)1)〜3)に基盤を置いた、建設的な将来を考えた解決策を考える、5)「正しく戻す」関係になる――という5つの局面に沿って関係者全員が進めていく手法であると語った。
「ホーポノポノのプロセスに集った個々が5つの段階を踏み、被害者は怒りと憎しみの感情が癒やされる場となることを望む。加害者を赦すことは難しいプロセスである。かなりの感情的に勇気が必要とされる。しかし、その行為が信頼の回復と新しい共通の歴史、過去の痛みを除く歴史を共同で生み出す能力を可能にするのである」と松井氏は述べ、「たとえ傷を癒やすプロセスが難しいことであっても、和解は被害者が過去を乗り越え、福利を得るためには重要である」と付け加えた。
終わりに松井氏は、「平和構築の活動は市民社会の努力に委ねられている」と主張。「癒やし、和解と平和構築を得るためには、そのプロセスを行う市民が必要である。政府や軍隊、外交官がなしえていないことを市民社会が証明できることもある」として、市民社会の重要性を強調した。
その上で、「過去を乗り越え、未来の共通基盤を確立するためにも多面的な和解システムと信頼の基盤が必要である。その活動に関わる東北アジアに住む私たちは具体的な行動を起こすことが重要である」と述べ、「二度と非人道的な戦争という暴力行為が起きないための防止策として、それぞれの団体が具体的な一歩に踏み込んで和解のプロセスを行う勇気を抱き、実践する必要がある。宗教者だからこそ、宗教の尊い教えの下に真実を明らかにし、加害者による誠実な謝罪を行い、被害者による赦しの心を抱き、共感する努力を行い、償いをし、人権を守り、排他的ではなく包括的な社会を築くことである」と結論付けた。
これに対して、パネリストのジョンガク(正覺)氏(韓国・中央僧伽大学校教授)は、『論語』の「里仁篇」における「忠」と「恕」の意味が、和解と相通じると考えるようになったと述べ、「ここで『忠』というのは、『中』と『心』が合わせられた真実の心であり、『恕』は如と心が合わせられた共感の心を指します」と説明した。「最善を尽くす忠と、相手の立場に立って共感する恕を共にすれば、葛藤や対立が克服された美しい関係、すなわち和解の場が広がるでしょう」と語り、その原理の中に松井氏が提示した、①真実、②謝罪、③赦し、④共感の意味が含まれていると付け加えた。
ジョンガク氏はさらに、松井氏が指摘した「⑤贖(あがな)い」は、「聖書における和解の概念から見いだされる」と発言。「聖書における和解は、ギリシャ語の hilasterion の訳語として、和解の供え物がささげられる場所を指します。また、和解のための供え物としての hilasmos が『和解』と訳されていることが見られます。このような原理を基に、『祭壇に供え物をささげようとする場合、まず兄弟と和解をする』(マタイ5:23〜24)ことを求める聖書の双務的原理には、償いに対する賠償という経済的原理が働いていることが見られます」と指摘した。
そして、「仏教では1つの国土に生まれることを、国士縁によるものとして説明します。この観点からみると、1つの国に生まれた一人一人は先祖の現在を抱えて生まれた原罪者とでもいえるでしょう」と主張。その上で、「聖書において、イエスが人類の原罪に対する贖いとして『和解の供え物』、すなわち hilasmos になったならば、先祖の原罪を抱えて生きている現状において、宗教者たちは『帝国主義の公務員』ではなく、政治家や民衆を導く引導者の役割、さらには『和解の供え物』、hilasmos としての役割をしていかなければならないのではないでしょうか」と結んだ。
続いて、リン・マンホン(林曼紅)氏(中国キリスト教協議会事務総長補佐、同神学教育部部長)は、「松井氏が『真実を明らかにする』ことを和解プロセスの第一歩だとされたことに、私も強く賛同する」と述べた。
リン氏はまた、松井氏が「加害者による誠実な謝罪」を和解プロセスの2つ目の重要なステップとして示したことにも賛同。「こうした謝罪は確かに被害者にとってプラスの力になるであろう」と述べた。一方、謝罪は加害者にとっても重要な意義があるとして、「加害者は罪のない被害者に極めて大きな苦難をもたらすばかりでなく、実際には自分をも辱めているのである」と指摘。その理由として、「加害者のなすことは、人間性の素晴らしさに背き、さらにはこれを踏みにじるものだからである」と述べ、「謝罪は、加害者が自身の過ちを思い返し、自分と過去の過ちとの決別を促し、憎悪と怨恨(えんこん)を招いた過去から自らを救い出し、再び曇りなき潔白な人間としてやり直す助けになる」と付け加えた。
リン氏は最後に、「双方が歴史の真実について共通認識を持つことができ、加害者が心の底から謝罪し、赦しを乞うことができ、被害者が赦しの心を持つことができれば、双方は必ず共感することができ、和解のプロセスがより一層促される」と主張。その上で、「疑いの余地なく、和解とは前向きな倫理関係の構築を渇望することであり、これには加害者と被害者の双方の前向きな態度と行動が必要である。北東アジアの平和を話し合うこの国際セミナーは、まさにこのような前向きな姿勢を体現するものである」と結んだ。
平野京子氏(WCRP日本委員会和解の教育タスクフォースメンバー、女性部会副部会長、立正佼成会大田教会長)は、和解は時間をかけたプロセスが必要だと松井氏が述べたことについて、「私の日常の生活の中でも、同じことが重要だと思いました」と語った。
そして、「大切だと思うことの1つは、自分の立場からの見方だけでなく、相手の立場に立った見方ができるかということです」「もう1つは、違う視点で考えてみる力を磨くためにも、自分という一人の人間の中にも、いろいろな思いが共存していることを認識していく大切さです」とコメントした。
その上で、「相手から温かい正直な心を引き出せるような触れ合いを、まず私から心掛けて、共感し、伝え合い、認め合える社会を、まず身の回りからつくっていきたいと改めて思いました」と結んだ。