教会防災ネットワークNHK(N=新座市・H=東久留米市・K=清瀬市)が主催する「第3回防災講演会」が8月29日、東京都東久留米市のクリスチャンアカデミー・イン・ジャパン(CAJ)講堂で行われた。
教会防災ネットワークNHKは、新座市、東久留米市、清瀬市の都内3市のキリスト教会が協力し、地域と行政との連携を目指すネットワーク。東日本大震災以降、教会間の連携を強めようと栗原一芳氏(災害支援団体一般社団法人クラッシュジャパン=東京都東久留米市)が中心となって3市の教会へ呼び掛けたことが始まりだ。
教会防災ネットワークNHKは「地域教会がネットワークを築いて、来るべき直下型地震で助け合い、そして地域に仕え合う」という趣旨に賛同した3市19の教会や幼稚園、学校、企業が協賛する集まりだ。その中でも久留米キリスト教会(単立・森本泰三牧師)、東久留米教会(日本基督教団・石田真一郎牧師)、清瀬グレースチャペル(基督聖協団・菅谷勝浩牧師)が世話役となっている。
清瀬グレースチャペルの菅谷牧師は「比較的、多摩地区は首都直下型地震の被害は少ないのではないかと言われており、近隣が被災した場合は、この地から支援に出たい」と語る。同教会は、設計段階から防災センターとして機能できるよう、耐震強度はもちろん、空間づくりにもこだわり、非常時の食料と水も備蓄されている。菅谷氏は「設計時から防災を意識している教会は珍しいのでは」と語る。このように防災に備える教会は現在、全国的に広がりつつある。
第1回の防災講演会では、盛岡聖書バプテスト教会の近藤愛哉(こんどう・よしや)牧師を講師に招き、約140人が参加した。
教会防災ネットワーク発起人 クラッシュジャパン 栗原一芳氏
クラッシュジャパンの栗原氏は、「ひとたび震災が起きれば交通機関はマヒする。歩いていける教会間の協力が欠かせない。顔の見える関係づくりを大切にしたい」と話す。特に行政との連携を目指す栗原氏は、東久留米市の社会福祉協議会が主催する「防災情報交換サロン」に同ネットワークのメンバーが参加を始めていることを紹介した。
防災情報交換サロンとは、社協とボランティアによる情報交換会で「今あるチカラを見つけ合うこと」をテーマに自治体や団体、個人が参加して地域連携を図る取り組みだ。栗原氏に、今後の展望について聞くと「地域と知り合うこと。コミュニティーや行政とつながっていくこと」と笑顔で答えた。
このネットワークはさまざまな教団教派が連携する超教派の集いで「教団の縦の関係だけではなく、いざという時の横の関係」も作っておく必要があると栗原氏は語る。日本防災士機構認定の防災士資格を持つ栗原氏は、モデルになる教会の例としてイエス福音教団東京教会(東京都西東京市)の取り組みを挙げ、「あの教会は震災に備えて薪を地下に常備しています」と話してくれた。
この教会防災ネットワークNHKが先駆けとなり、近隣では所沢(埼玉県)や大久保(東京都)でも同様の会が発足している。
講演会は、久留米キリスト教会の森本泰三牧師による司会進行のもと、午後3時に開演し、東久留米泉教会の高桑照雄牧師が開会の祈りをささげた。
自覚的生活環境を目指す学校 自由学園 蓑田圭二教諭によるスピーチ
キリスト教主義教育で創立95年の歴史を持つ自由学園は、教会防災ネットワークと連携しながら地域に開かれた学校を目指している。同校で危機管理本部長を務める蓑田圭二教諭が講壇に立ち、「震災時のためのイメージトレーニング」と題してスピーチを行った。
冒頭で蓑田氏は「ここで見聞きしたことをぜひ家に帰って話してほしい。話すことで意識が高まる」と語り、生徒たちにどのような安全教育を行っているか、実際に震災が起きたとき、日頃から何を意識していればよいのかについて語った。分かりやすくイラストで解説し、参加者は興味深そうに聞き入っていた。
自由学園は3万坪を誇る敷地を有し、東久留米市とは防災協定を結んでいる。また、震災時の避難場所にも指定されている。同校は、関東大震災時から救助活動に携わり、その後、阪神・淡路大震災、東日本大震災でも活動した。今年の9月には、有志が熊本で支援活動を行うなど、学校全体で高い意識を持つ。
蓑田氏は「地域と連携している学校もまだ珍しいが、地域の教会と協力している学校は聞いたことがない」と話し、教会防災ネットワークNHKと共に協働したいと抱負を述べた。
福島第一聖書バプテスト教会主任牧師 佐藤彰氏による講演
特別講師の佐藤彰牧師の教会は、福島第一原子力発電所から5キロに位置していた。原発事故による放射能汚染で家を追われ、教会は一時閉鎖。教会員や地域住民は、東京都奥多摩町の奥多摩福音の家に避難した。同施設はドイツ人宣教師が中心となって運営する宣教団体保有の宿泊施設だが、震災後、一般の営業を休止し、すぐに彼らを迎え入れた。その様子はテレビで放送され、多くの人に感動を与えた。
佐藤氏は冒頭、「東日本大震災のためにいろいろとサポートしてくださり、ありがとうございます」と感謝の言葉を述べ、「震災から5年がたち、関心は薄れていく中で、被災地では心の問題が起きています。震災はグラムやセンチという数量で分かるものではありません。報道では伝わらない震災体験を語ります」と講演を始めた。
震災後、人々は頑張り続けた。120パーセントの力で走り続けたが、今「心のギアチェンジをどこでするべきか」という時期に来ているという。あの震災は何もかも瞬時に変えてしまった。空襲警報のように鳴り響くサイレンに、理由も分からず7万人の人々が山へ逃げ惑う。「病人から幼子まで、その光景は壮絶だった」という。
自身の著書の紹介を交えながら「動物も人間もよく頑張った。みんな同じ命なのです」と語り、「どんなに小さな命も同じ重みです」と命の大切さにも触れた。
佐藤氏は、自身も被災者でありながら、物資を避難所へ運ぶなどの救助活動に当たっていたが、息苦しさを覚え、夫人は、空が灰色に見え、食べ物に味を感じなくなった。自分も被災者なのに、人を助けられるのか・・・。「あれは異様な出来事でした」。震災のストレスは、想像を絶するものだった。
佐藤氏は、今も各地で講演を続ける。その目的は、震災の体験を伝えることでもあるが、各地に散った仲間や被災者を励ます意味もあるのだという。
熊本地震の被災地を訪ね、講演した佐藤氏は、ボランティアが朝から晩まで訪ね、道を聞かれ、世話に追われる中、うれしいけど疲れ切ってしまったという現場の声を紹介した。泊まる場所も食事も自分で準備する「自己完結型」でお願いしたいと優しい口調で訴えた。
「うれしいけれど物資が届くだけで涙が出てしまう」。震災は、瞬時にして人の心に深い傷を残すのだ。佐藤氏は、熊本地震で被災した牧師に「生きているだけで大したものです。本当に頑張っていますね」と励ましたという。
佐藤氏は、避難生活の大変さについても語った。寒さに震え、暖を取ることもできず、自分の体温で赤ちゃんを温める母親。壮絶な環境下でも「空襲の時よりはましだ」と口にした老人の言葉。福島から各地に避難しても放射線量による偏見や差別に苦しんだという。
子どもはストレスが少ないと言われるが、心の傷は深い。中には「放射線被害を受けているなら鼻血を出してみろ」と言われたり、家族で旅行したら「何で被災者が旅行している」とバッシングされたりする。ストレスで背骨が曲がってしまった子どももいるという。佐藤氏は、「お互いあんな目に遭ったのだから、広い心で受け入れよう」と訴えた。
大丈夫、なんとかなる それが合言葉
佐藤氏は「なんとかなる」という言葉を、合言葉のように伝えている。あの震災で「神様はおられる。愛されている」ことを深く知り、「人生は軽いものではない。簡単に人生観をひっくり返してはいけない」と諭すように語り掛けた。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)の聖句を引用し、「聖書の言葉をそのまま体験しました。聖書の言葉は絵空事(えそらごと)ではない」と語った。
「未来で出会う誰かのために」今の経験がある
佐藤氏は、スポーツ紙や新聞からの取材を「原発から一番近い教会の牧師」として宗教家の立場で受けているが、「今の苦しみは後の栄光です」と話すと「クリスチャンは今の苦しみを別の物差しで見るのですね」と驚かれるという。
「未来で出会う誰かのためにこの経験があると・・・。『きっと大丈夫』。この一言を誰かに言ってあげるために、この道を通ったのだなと分かりました」と証しした。
震災は境界格差と鋏状(きょうじょう)格差を生んだ。同じ日本なのに、一方では何事もなかったかのようにテレビでお笑い番組が流れている。片方では、大変な環境下で人々が苦しんでいる。「何なの、この差は」。頭で分かっていても、心が付いていけない。
もう1つは、震災後はどんどん良くなるか、ただ悪くなっていくか、この2つに1つしかないという事実だ。人々は「あり得ない。悪くなっているじゃないか」と落胆していく。事実、福島では離婚率が加速化している。心の格差は大きなテーマだ。
些細なことで人の関係に亀裂が生じてしまう。放射能汚染による偏見や誤解。どちらも不安で心配で「福島のことを思っているのに、なんでそんな言い方をされるのか」。そんな声にも、佐藤氏は「あまりにいろいろなことがありすぎたのです。どうか、大きく見てあげてほしい。そんな気持ち、思いだけで救われたような気持ちになるから」と、思いやりの大切さを参加者に訴えた。
本当に必要なものはわずかだと知って
「長生きしようよ。せっかく生き延びたのだから」。佐藤氏はいつもそう話すという。「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」(詩編119:71)
この言葉を深く噛みしめる出来事があったそうだ。東京の奥多摩福音の家に避難しているときに、人のぬくもりを思い出し、寄り添う心に感動したエピソードを紹介した。
「何も持たずに避難しているけれど、なんだ今、生きているじゃん。幸せだね。本当に必要なものはわずかだね」。短いこの会話を耳にして、そこにキリストが歩まれているような感動を覚えたという。
「足りない、足りない。あの人は、私は・・・そんな言葉ばかり。3日間何も食べず、食パン1枚という生活もあった。温かなうどんがふるまわれたときの感動を忘れません。どれだけ、私たちは飽食の時代に生きているのか。新幹線が10分遅れたっていいではないか。どこまで比べて、どこまで理想を求めるのか」と話し、「そんなのは蜃気楼(しんきろう)だ」と佐藤氏。
「聖書は、『比べなくていい』、そう教えているのだと知ることができました」と語り、講演を締めくくった。
「NHKと聞いて、国営放送のNHKで講演かぁと最初は思っていました」と会場の笑いを誘う佐藤氏。その講演は「優しさ」に溢れていた。想像を絶する恐怖と苦痛、試練を経験したからこそにじみ出るものなのだろう。聖書の神髄を語られているようで、心に迫るものがあった。
講演会に参加した人の声
講演会に出席した人の声を紹介する。
「今回も参加できてよかった。福島のことがすっかりテレビで報じられなくなったが、忘れないことが大事だと思います」(女性)。出身が福島県という男性は「他人事ではない、あらためて原発事故と震災について考えることができた」と述べた。
急ぎ早に会場を後にする女性は、「すっかり現地のことを忘れていたように思います。今日聞いたことを話すように言われたので、家で話します」と笑顔で話した。
一方、ある男性は厳しい表情で「風評被害も心配だ。でも、本当に食べて良いか心配もある。どの情報が本当か分からない」とつぶやいた。「いざ地震が来たら、自分だってどうなるかは分かりませんが、大丈夫というお話を聞いて安心をしました」(女性)
他にも「私は足が悪く自分1人じゃ何もできないから、教会に助けてもらえれば安心です」など、さまざまな感想が聞かれた。参加者が自らの口で思いを語ることも、コミュニティーとして成長していく大切な過程だ。
佐藤彰牧師インタビュー
-私たちは今、東北や地震被災地のために何をするべきでしょうか。
佐藤牧師:まずは、それぞれができることを続けてほしいです。
-物資や経済的な支援というのは必要なのでしょうか。
佐藤牧師:東北では、必ずしも必要ではないと思っています。物資も資金面もずいぶん改善されました。それよりも今は心のケアの段階です。環境が良くなればなるほど、心が追い付きません。ぽっかり穴が空いたようになってしまいます。
-私たちメディアができることはなんでしょうか。
佐藤牧師:もう皆、あの震災を忘れてしまったのではないかと錯覚しています。だからメディアには忘れないでと呼び掛けてほしいです。1人じゃないよ。心の支援です。反比例して心のコントロールが難しいのです。
-子どもたちがこの震災を忘れないために、現地の子どもたちとどのような交流をすればよいでしょうか。
佐藤牧師:実際に現地で交流となると、地域的な面で不安が出ると思います。本当は問題がないにしても、放射線量のことで、親や祖父母が心配するのも現実です。交流は現地に足を運ぶだけではなく、例えば心と心。手紙をやりとりするというのも良いのではないでしょうか。行かなくてもできることがありますし、ちょっとした心遣いで食べ物を送ることもできます。
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小学生が学校同士でこのように手紙のやりとりをすることは、親交が深まるだけでなく、防災への意識向上につながるはずだ。また、佐藤氏の言葉のように、日本にわずかしかないキリスト教メディアが総意で協力し、共にできることにいそしむべきではないかと感じた。
講演会の賛美は、清瀬グレースチャペルの賛美チームが導いた。当日は「おそろいにしました」というように、ボーダー柄のシャツで統一。プロのドラマーやピアニストも交え、会場を明るく盛り上げた。最後には佐藤氏が長らく歌えなかったという「ふるさと」を、プロピアニスト菅野智樹氏の演奏で参加者一同が歌うと、会場はなんとも言えない感動に包まれた。
未曾有の大震災から5年。日本はその後も熊本地震をはじめ、数々の震災と天災に見舞われている。内閣府の「地方創生の課題と展望」(2015)には、富士山が再噴火する可能性を見込んでの対応、復興プロジェクトまで紹介されている。今年の台風は、各地で甚大な被害を及ぼした。明日がどうなるか分からない時代に生きていることは確かだ。
最後に、印象に残った言葉を紹介したい。ある牧師は「震災は忘れられつつある。新聞やニュースで取り上げても話題にならない」と静かにつぶやいた。風化をさせないということも大切なことなのだろう。また同時に、地震は各地で起きている。今後も対応に追われることは必至だ。
備蓄品を貯蔵し、避難所や災害時のセンターとして開放したいという考えを持っている教会は幾つもある。このような輪が全国に広がり、地域や行政と助け合っていければ、支援活動の中で必ず聖書の愛、福音の種がまかれるのではないだろうか。教訓をどう生かすか、今私たちは試されているのかもしれない。