【CJC】「世界青年の日」(ワールドユースデー=WYD)の出席を主な目的としてポーランドを司牧訪問した教皇フランシスコは7月27日午後2時、ローマ郊外のフイウミチーノ国際空港からアリタリア航空特別機で出発、約2時間の飛行の後、同日夕、ヨハネ・パウロ2世・クラクフ・バリツェ国際空港に到着した。
空港にはアンジェイ・ドゥダ大統領や政府関係者、同国カトリック教会のスタニスラウ・ズヴィッツ大司教らが出迎えた。歓迎式典の後、教皇はオープンカーで市内に向かった。
バチカン放送(日本語電子版)などによると、ポーランド訪問2日目の28日、教皇はカトリック教会の第31回「世界青年の日」(ワールドユースデー)世界大会が開催されているクラクフから東北約100キロにあるチェンストホヴァに向かった。
同地のヤスナ・グラ巡礼聖堂を訪問した教皇は、ポーランドの保護者として、人々の熱い崇敬を受けている「黒い聖母」のイコンの前で、祈りの時を持った。
続いて教皇は、聖堂前の広場でささげたミサの中で、ポーランド宣教1050年を信者たちと共に祝った。説教で教皇は、神は自ら小さくなられ、人々の近くにいて、具体的な業を行われる方、と述べた。同国への宣教1050年の祝いが「いつくしみの聖年」と重なったことを摂理として喜びを表明した。
「柔和で謙遜」 (マタイ11:29)で、その御国を「幼子のような者」(同11:25)に好んで示される神は、自らもまた小さくなられ、ご自分の声を伝え、その御名の啓示を助ける者として単純で心の素直な人々を選ばれた、と教皇は述べた。
ポーランドの人々の聖母への深い信心に触れながら、教皇は、マリアは主と完全に呼応し、神の糸は歴史の中で「マリアの糸」と交わったと述べ、マリアは神が私たちのところまで降り、近くに来られるための階段、「時の充満」の最も明らかなしるしとなったと話した。
教皇はポーランド訪問3日目の29日、南部オシフィエンチムにあるナチス・ドイツのアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所跡を訪れ、有名なスローガン「働けば自由になる」が掲げられた鉄製の門をくぐった。
被収容者たちの点呼が行われ、集団絞首刑が執行されていた「点呼広場」で、教皇は長い沈黙の祈りをささげた。
次いで「第11ブロック」を訪れた教皇は、ここで10人の生還者と会見した。教皇は一人一人の手を固く握り、生存者たちの言葉にじっと耳を傾けた。
多くの無実の人々が銃殺された「死の壁」の前にランプの火をささげた教皇は、壁を見つめ、それに手を触れ、祈った。
続いて、教皇はマキシミリアノ・マリア・コルベ神父が他の被収容者と共に餓死刑のために入れられ、亡くなった地下牢を訪れた。
収容所で脱走者が出たことへの見せしめとして、10人が餓死刑に定められたとき、コルベ神父は、家庭を持つ1人の男性の身代わりとなることを自ら申し出て、他の9人と一緒に地下の餓死室に送られた。
地下牢でコルベ神父は仲間を励まし続け、2週間後、まだ生存していた他の3人と共に注射を打たれ、殺害されたという。
暗く狭い地下房に入った教皇は、その中に1人で長い間留まり、頭を下げ祈り続けた。同日は、コルベ神父が死刑を宣告されてからちょうど75年目。
教皇は、アウシュヴィッツ収容所の訪問帳に、「主よ、あなたの民を憐れんでください。主よ、多くの残忍さをお赦(ゆる)しください。フランシスコ 2016年7月29日」とスペイン語で記した。
続いて教皇は、アウシュヴィッツ収容所から3キロ離れたビルケナウ収容所へ、カートで向かった。ビルケナウの犠牲者国際慰霊碑では、「暗い淵の底から、主よ、あなたを呼びます」という言葉で始まる詩編130編が、ユダヤ教のラビと、ポーランドの司祭によって唱えられた。
碑文を見つめながら歩んだ教皇は、慰霊碑の前にランプの火を灯し、沈黙の祈りをささげた。
教皇はここで、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害の中、自らの命をかけてユダヤ人を守った人々、「諸国民の中の正義の人」たち25人と会見した後、「世界青年の日」大会が開催されているクラクフへ戻った。
教皇は同日午後、クラクフ郊外プロコチム地区にある小児科病院を訪れた。この大学系病院は、小児総合医療施設としてポーランド南部では最大の規模。
教皇は病院のホールで、子どもの患者とその両親、医療関係者らに迎えられた。
あいさつの中で教皇は、福音書の中には、主イエスが病者と出会ったり、病者の願いを受け入れたり、病者のために快く赴く場面が何度も出てくることを指摘した。
キリスト者として、イエスのように沈黙のうちに病者に触れ、祈りをもって寄り添えるならば、どれほどよいだろうかと教皇は感嘆しつつ、残念ながら今日の「切り捨ての文化」の中で犠牲となるのは、まさに最も弱く傷つきやすい人たちであると述べた。
支えが必要な人々に愛と優しさをもって奉仕することは、人類を成長させ、私たちに永遠の命への道を開かせると述べた教皇は、常にいつくしみをもってよい業を行うよう、関係者を励ました。この後、教皇は病棟の子どもたちを見舞い、その家族らを励まし、最後に、病院の礼拝堂で祈りをささげた。
教皇は同日夕、若者たちとキリストの受難を黙想しながら行う信心業「十字架の道行き」をブオニエの野外イベント場で行った。イエスが死刑の宣告を受けてから、十字架上で息を引き取り、墓に葬られるまでの過程を、14の場面に分け、各所ごとを黙想し祈る。
世界各地でいつくしみの業を行うさまざまな教会系団体や修道会がビデオで紹介され、その関係者らが十字架を担いだ。舞台では現代舞踏のパフォーマンスを通して、イエスの道行きが表現された。
「十字架の道行き」の後の説教で、教皇は「神はどこにいるのか。世界に悪があるのなら、神はどこにいるのか。人々は飢え、渇き、家もなく、難民となって追われ、多くの無実の人が暴力やテロや戦争の犠牲となり、病気が人生や愛情の絆をゆるがし、子どもたちが搾取されている世界で、神はどこにいると言えるのか」と問い掛けた。
教皇はそれに対するイエスの答えとして、「神は彼らの中にいるのです」と説明した。
教皇は、訪問4日目の30日午前、ポーランドの教会関係者とミサをささげた。クラクフの「神のいつくしみ巡礼聖堂」で若者たちに赦しの秘跡を授けられた後、続いて、近くにある「聖ヨハネ・パウロ2世巡礼聖堂」に向かった。
聖堂内は、神学者・イコン画家のマルコ・イヴァン・ルプニック神父のモザイク画で覆われ、このミサのために祭壇には聖ヨハネ・パウロ2世の聖遺物が据えられた。
教皇は説教の中で、心を開き、自分自身から外に出るようにと、教会関係者らを励まし、故教皇ヨハネ・パウロ2世の、キリストのために「扉を開きなさい」という招きに従い、恐れや快適さのために扉を閉めていようとする誘惑に打ち勝たなければならないと説いた。
「世界青年の日」クラクフ大会は31日、教皇による閉会ミサをもって終了した。
クラクフ郊外の「いつくしみのキャンパス」で行われた閉会ミサには、警察の発表によれば、約150万人が参加した。
教皇はこのミサで、イエスに信頼し、世界を変えようと呼び掛け、正義と平和に満ちた社会の構築に参加するよう、若者たちを励ました。ミサの終わりに教皇は、次回2019年の国際大会の開催国として、パナマの名を発表した。
教皇は、同日午後、クラクフ大会のボランティアと実行委員らと会見、心からの感謝を述べた。
5日間にわたるポーランド司牧訪問を終えた教皇は、クラクフ・バリツェ空港での送別式を経て、午後7時半、LOT・ポーランド航空特別機で帰国の途についた。空港では、アンジェイ・ドゥダ大統領やアガタ・コルンハウザー=ドゥダ夫人、スタニスラウ・ズヴィッツ大司教らが見送った。出発は悪天候のため約1時間遅れた。