ドイツ福音主義教会(EKD)とスイスプロテスタント連盟(SEK)、および日本キリスト教協議会(NCC)は7日、4月22日から29日に東京などで行われた第7回日独教会協議会の最終声明をNCCの公式サイトで発表した。NCCは声明について、「来年の宗教改革500周年に向けてさらに前進した実りある協議会となりました」とコメントを記している。
同声明はまず、協議会の主題「いま、宗教改革を生きる―耳を傾け共に歩む―」について、「私たちは礼拝、講演、各教派訪問に加えて、さまざまな同時並行プログラムを通じて出会いと真摯(しんし)な協議を行い、スイスとドイツと日本では、宗教改革後の教派が今日に至るまで隣人奉仕の神学が危急の課題であることが明らかになった」と指摘。「500年前の宗教改革では視点の変換があり、そこで確認されたことは、隣人のために自分の身を献(ささ)げることに寄与するのは、みずからの救いの獲得への努力ではなく、隣人愛つまり、人への神の愛に対する感謝だということだ。それにより教会のアイデンティティーは変わった」と記している。
また、「教会の隣人奉仕の行為の際に、視点転換の必要があることが、この協議会を通じてのテーマとなった」として、協議会で経験したことに基づき、1)公開講演会でのパネルディスカッション、2)いわき市、房総半島研修旅行、3)京都崇仁・東九条地区訪問、4)東京研修、5)フクシマ研修旅行、6)三箇所でのコンサートおよびワークショップ、7)スイス・ドイツ・日本――の7点について「共に確認する」としている。
まず、「公開講演会でのパネルディスカッション」(関連記事はこちら)について、「日本では昔も今も教会の自己理解が、――社会活動をする教会と宣教をする教会のどちらであるべきか――に分かれていることが報告された」と振り返った。その上で、「このような論争は克服されなければならないし、克服しうる。両者の間の生き生きとした対話が必要であるし、それには聖書神学的熟考が基礎として必要だ」と述べている。
次に、「いわき市、房総半島研修旅行」で、キリスト教の背景を持たない市民の隣人奉仕活動に出会い、彼らの活動に日本基督教団と日本バプテスト同盟に属する地元教会が門戸を解放し、彼らの活動を支援していることを学んだと報告。「これは講演会後の質疑応答でキリスト者の活動は、常にキリスト教的な活動として標榜されなければならないのかと議論されたことに繋(つな)がる」と指摘した。
その上で、「教会とキリスト教団体は、社会の要請を真に受け、自分たちとは異なる動機から活動している人々と共に活動することが必要だと理解した。キリスト者は他の市民団体との協働と対話によって、私たち自身を知ることができ、『私たちとは何者なのか』と問い、自らを変えることができる」と述べている。
「京都崇仁・東九条地区訪問」については、「必要不可欠なことは、隣人奉仕活動が同じ高さの目線で行われ、社会の矛盾にさらされている人々や他文化の背景にある者たちが自分の観点を持ち込むことができ、彼らとの参加協力の形が見出され得るように教会や隣人奉仕活動が為されることだ」などと述べている。
一方、同声明は「東京研修」で部落と呼ばれる「迫害を受けている少数者」について、「必要不可欠なことは、教会の隣人奉仕活動が、これら姿の見えない人々へ特別に眼を向け、彼らの視点を認識し、力を入れ弁護を引き受けて添うことだ」としている。
「フクシマ研修旅行」については、「いわき市周辺を見学し学んだことは、政治が住民の不安に向き合うのではなく、彼らの不安の根拠を意識的に隠蔽(いんぺい)していることだ」と指摘。宗教改革を経た教会としての課題は、「こうした政治の傾向に抵抗し、当事者と共に透明性のある政治のために活動することだ」としている。
さらに、東京や千葉で行われた「三箇所でのコンサートおよびワークショップ」で、聖歌隊が共に詩編の「ことば」と「音」により主を賛美するエキュメニカルコンサートを体験したと述べ、「音楽は人々を結びつけ、その向かうところへといざなう」と付け加えている。
そして最後に「スイス・ドイツ・日本」で、「スイスとドイツと日本からの参加者が共に集ったことは、協議会を実り豊なものにした」と振り返り、「この経験から、今後は三者一緒に協議会を開き、この協議会の名称を『日・独・スイス教会協議会』と変更することを提案する」としている。(続きはこちら>>)