あるシリア人キリスト教徒が、迫害監視団体「ワールド・ウォッチ・モニター」に対し、過激派組織「イスラム国」(IS)統治下のラッカでの暮らしをこう語った。「常に警戒し、町を歩いているときも誰とも目を合わせず、いつも何を言うべきで、何を言うべきでないか考えています」
2014年にISがラッカを制圧した後、20代前半のキリスト教徒であるジョンさん(仮名)は、両親と共にラッカにとどまることを決断した。1年半そこで生活した後、ある日の夜中に逃亡した。
「多くの面において、ラッカでの生活は通常通りです。店舗やレストランは営業しています。食料、電気、水はあります。人々は、アレッポのような都市に住んでいる人よりは幸せです」とジョンさん。
しかし、日常の裏側では、日ごとに処刑と暴力が増していった。「残虐行為を多く見ました。毎週金曜日、彼ら(IS)は人々を処刑します。公開処刑された最初の人が斬首されたとき、私はそこにいました。しかし、彼らは最初の1回で斬首できなかったのです。その人はとても苦しみ、最終的に彼らはその人を射殺しました」
ジョンさんが毎日通り過ぎる道にあるフェンスに、ISは、斬首したラッカのシリア軍基地に所属している数百人の兵士の頭部を並べた。ジョンさんはその光景を見た後の気持ちをこう語った。
「私が彼ら(IS)と話すとき、言葉を選ばなければなりませんでした。失言は攻撃になり得ます。彼らの全ての残虐行為を見ると、私には彼らが人間ではなくモンスターに見えました。この兵士たちにしたことを見てからはなおさらです。トラウマになりました。もうたくさんでした。ISはフェンスに兵士の頭部を置くとき、十字架をその耳にかけました。もう一つショッキングだったのは、人々が頭部と自撮りをしていることでした。私は、彼らがこのことをしたのは人々を怖がらせ、過ちを犯したときにどうなるかを示すためだと思っています」
ラッカがカリフ制により統治されるとISが宣言したその週、ISが3カ所の教会を破壊したとジョンさんは語った。「彼らは中の全てのものを破壊しました。イコンも、祭壇も、全部です。ある教会の会堂は、今はISの拠点となっています」。このような迫害に遭ったにもかかわらず、ラッカでクリスチャンでありつつ生活することは可能だったとジョンさんは語った。
「私たちは(改宗して)イスラム教徒になった上でラッカで通常の生活を営むことも、ラッカを去ることも、あるいは人頭税を払って住み続けることもできました。初めの年、税金の額は男性1人につき5万4千シリア・ポンド(約2万8千円)で、女性と子どもは課税されませんでした。しかし昨年、その額が16万4千シリア・ポンド(約8万4千円)に引き上げられました。私たちは納税し、その証明を常に持ち歩いていたので、誰も私たちがクリスチャンであることを理由に危害を加えることはできません」
にもかかわらず、ジョンさんは、いまだラッカで生活しているキリスト教徒の家庭は50世帯しか知らず、唯一の牧師もISが制圧して間もなく去ったと語った。
「私は、彼らが信仰を理由にキリスト教徒につらく当たっているのを見たことがありません。彼らがしたのは、ラッカを去ったクリスチャンや他の人の家を接収したことだけです。ISの戦闘員には、十分な数の家がなかったからです。このようなことが起こるとは想像もしませんでした。ラッカのクリスチャンは尊敬されていました。イスラム過激派が誰もいない、普通のシリアの都市でした。私から見れば、ISのしていることは本当のイスラム教ではありません。私はこれまでの人生でずっとムスリムと共に生活してきました。互いに尊敬し合い、一緒に平和的に暮らしていました」
しかし最終的に、継続する恐怖のため、ジョンさんはある日の夜中ラッカから逃亡することを決断した。
「もちろん、心持ちはよくなりました。ラッカでの日々のように毎日水や電気があるわけではありませんが、より安全だと感じますし、心に平安があります。ラッカでは、いつも恐怖と警戒心がありました。今生活しているところでは、町で会う人々を恐れる必要がありません」とジョンさんは語った。