日本のブラック・ゴスペル界の第一人者、ラニー・ラッカー氏の次女・Nancy(ナンシー)さんと長男・John(ジャン)さんによるユニット「Nancy&John」の初ライブ「Christmas Live」が25日、調布市グリーンホール(東京都調布市)で開催された。歌を担当するナンシーさんと、ピアノを担当するジャンさんが「一人でも多くの人に福音を伝えたい」とユニットを組んだのは今年5月のことで、今回のライブが初お披露目となった。会場は約300人の観客でいっぱいとなり、1時間半ほどのライブは、1曲目から手拍子が起こるほどの盛り上がりを見せた。2人の父であるラッカー氏もシークレットゲストとして登場した。
開演を前に「緊張している」という2人に話を聞いた。
-まずは、姉弟でユニットを組むことになったきっかけを教えてください。
(ナンシー)実は、私は今年の9月までハワイで3年ほど生活をしていたので、ユニットを結成した5月には、私はハワイ、弟は日本にいるという状態でした。私は以前からアーティストのバックコーラスをしたり、父とも共演したりして、人前でゴスペルを歌っていたのですが、ハワイに行く前の私は教会から少し離れてしまっていました。ハワイに行ったことで、再び礼拝に足を運ぶことができたのですが、久しぶりに教会に足を踏み入れたときに、ステージで自分が賛美している姿、それを自分の職場の上司たちが見ているビジョンが示されました。ハワイの教会では、ミニストリーを立ち上げたり、聖書の学びをグループで行ったりしましたが、信仰生活が充実したのは何よりも、賛美の奉仕をする機会がたくさん与えられたからだと思います。そして、示されたビジョンの通り、今年のイースター礼拝に上司たちが参加してくれたのを見たとき、自分は賛美することによって神様の素晴らしさを現そうという思いが確かにされました。
(ジャン)僕はこれまで、音楽活動とはまったく縁がない生活をしてきました。この見た目からも分かるように、スポーツ、特にバスケットボールが大好き。子どもの頃に習っていたピアノを、本当に真剣に再開したのは2014年の冬のことです。僕はディズニーが大好きなんですが、ディズニーの曲を聞くだけではなくて自分で弾きたいと思ったのがきっかけです。映画『アナと雪の女王』を映画館で見たとき、すぐに実家に飛んで帰って「ピアノやるわ」って。それから、父のところにレッスンに通うようになりました。ナンシーがハワイで賛美するようになった時期と、自分がピアノを再開した時期がはからずも重なったんですね。
-父であるラッカー氏の影響を受けて育ったという意識はありますか? 音楽活動を始めるにあたって、有名なラッカー氏の実績をプレッシャーに感じたりすることはありますか?
(ナンシー)各地で開催されるセミナーやコンサートに家族みんなで付いて行っていたので、子どもの頃から当たり前のようにしてゴスペルには触れていました。なので、影響を受けているのはもちろんのことなのですが、私たちは父からゴスペルに関して強制されたことはなく、好きなことを自由にやらせてもらっていました。見聞きしている父の功績は、私たちにとっても格が違うと感じられるので、プレッシャーは感じるまでもありません(笑)。
(ジャン)父は本当に努力の人で、今でも毎日欠かさずに何時間も自宅で練習しています。自分がピアノを弾くようになって初めて、父の練習量のすごさを目の当たりにして、ただただ尊敬の念しか湧いてきません。
(ナンシー)家族を気遣ってヘッドフォンをして練習してくれているのですが、ハワイから実家の自分の部屋に戻ったら、隣の部屋から絶えずカチャカチャとキーボードを叩く音が聞こえてくるんです。本当に父はすごい。しかも、私たちの音楽活動を誰よりも応援してくれているのが家族。指導してくれる父に、裏方に徹してくれる母、米国にいながら私とジャンの間でマネージャーのように細かなことに気を配ってくれる姉。短い準備期間でライブ開催が実現したのも、家族の支えがあったからこそです。一般の芸能人の子どもたちは、2世だとか七光りだとか言われることが多いようですが、私たちはむしろ七光りどころではなく、家族一丸となって神様の光をどんどん放っていきたいと思いますね。
-お話を聞いていると、ラッカー家の仲の良さが本当に伝わってきますが、一緒に音楽活動する中であらためて見えてきたお互いの良いところはありますか?
(ナンシー)驚かされるたのは、ジャンの素直なところ。私はあまのじゃくなので、父に何か指摘をされても、絶対に父のいる前ではやり直したりしない。父がいなくなった途端に練習をやり直すような性格なんです。でも、ジャンは父の指導を素直に聞いて、そのまま吸収している。父が「私がジャンの年のときには、これほどまでには弾けなかった。ジャンが私の年になるときには、私を超えるピアニストになると思う」と言うのも、納得できますね。
(ジャン)なんと言っても、ナンシーのトーク力、MC力はすごい。生粋の大阪人の母譲り、大阪生まれのセンスが光りますね。今回のコンサートも、音楽よりも何よりも、僕たち2人の掛け合いを楽しんでもらいたいです。僕たちを好きになってもらって、また来たいと思ってもらえたら、それが一番うれしいですね。
(ナンシー)20歳を越えるまでは、殴り合いの喧嘩もよくしていました(笑)。弟と一緒に活動するのは楽しいと同時に、姉弟だからこその大変さもあります(例えば、弟が全然私の話を聞いていないこととか)。でも、どれだけ喧嘩しても切れない縁が家族にはあるのを感じています。解散!って言ったとしても、家に帰ったら顔を合わせないといけませんし。姉弟が仲良くステージに立っていること自体が、今の日本では大きな証しになるように思います。
-日本でゴスペルが市民権を得るようになったのはここ20年のことで、ちょうどお2人が生まれ育った時代と重なります。今回の初ライブ開催にあたって、ご両親は「若い世代のクリスマスソングを聞きにいらしてください」と呼び掛けていらっしゃいますが、新しい世代のアーティストとして何を発信していきたいですか。
(ナンシー)私たちと父の明らかな違いは、私たちが日本で生まれ育ったということにあると思います。米国から日本に渡ってきた父とは違い、私たちは日本の言葉や文化に親しんできました。そんな私たちが届ける音楽は、確実に父とは違ったものになると思います。これまでは、クリスマスという私の一番大好きな日、一年で一番福音を語るチャンスの日に、ライブを開催するということが大きな目標だったので、このライブが終わってやっと、これから先の私たちの本当の方向性が見えてくるのだと思います。福音を押し付けるのではなく、自然体な私たちの姿を通して、こんなクリスチャンもいるんだと知ってもらうことが第一歩ですね。
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定刻どおりライブが始まり、サンタの帽子をかぶったナンシーさん、となかいの角をつけたジャンさんがステージに登場。1曲目が流れ始めた瞬間から、会場に手拍子が起こった。「なんで会場が調布なの?という問い合わせが多数寄せられました。え、新宿から15分ですよ? 駅前にパルコありますけど?」とナンシーさんのテンポ良いMCに、観客からはどっと笑いが起きる。「ジャンさんのピアノデビューということで、私たちの育ったこの町を舞台に選ばせていただきました。ジャンがこうして人前でピアノを弾いているなんでいまだに信じられません。本当、DNAに感謝ですね」と、次々に場内の爆笑を誘った。
演奏された曲は、英語の曲「This is my wish」やJ-POP「ハピネス」など、クリスマスソング一色だった。カバー曲以外にも、ナンシーさんのオリジナル曲「all angels」が披露された。子どもが大好きで、保育園でも演奏活動をしているナンシーさんの「神様、どうかお願い、あなたの落とした愛たちを守る力ください、できないことはないあなただから」という歌詞が、ウクレレの優しい音色にのせて観客に届けられた。ジャンさんのピアノソロ「Have yourself a merry little christmas」も大好評で、会場には観客からの温かい掛け声が響いた。
ライブも終わりに近づいた、残すところあと3曲というタイミングで、ナンシーさんの歌声に合わせて歌いながらラニー・ラッカー氏が登場すると、会場からは大歓声が起こった。クリスマスはいつも大阪で迎えるラッカー氏は、「今年は東京に残っていただいて、さらに出演もしていただけたら」という娘たちの願いを快く引き受けたそうで、「ギャラの出ないスタッフになっております」と笑顔であいさつ。父との共演経験が多数あるナンシーさんは、「一緒に歌うと元気が出る、そこに弟も加わったのは本当に幸せなこと」と話し、「The real meaning of christmas」と「Joy to the world」のアレンジバージョンを共に熱唱した。
最後にナンシーさんは、「ライブの準備を進めてきたこの最後の1カ月、人の温かさを感じました。大変なことや不安が多く、汚い水の中に入り込んでしまったような気持ちになったとき、両親、兄弟、教会のみんなに『祈ってください』とお願いしたら、すぐに『祈ってるよ』と返事が返ってきて、その汚い水の中から引き上げられる感覚を覚えました。そうして当日を迎えられた今日は、特別な感謝を覚える1日でした。ここをスタートに、前に進んでいきたい」とあいさつ。アンコールの声に応えて、参加者全員と「きよしこの夜」を歌ってライブは幕を閉じた。
Nancy&Johnの活動に関する詳細は公式ブログ。