14世紀から15世紀にかけてのチェコのキリスト教宗教改革者で、司祭、哲学者であったヤン・フス(1369〜1415)が没してから、6日で600周年を迎えた。フスが暮らし、説教を行い、教えた同国の首都プラハの中心部では、5日から2日間にわたって、記念式典やコンサート、合唱、劇、講演、エキュメニカル礼拝、展示、行進、中世の市場の再現などが行われた。
プラハで開かれた記念行事のウェブサイトは、「2015年のフスの祝祭は、チェコの歴史で最も重要な人物のうちの一人を表すだろう」と記し、その意義を強調している。
この記念行事の主催者の一つであるチェコ・ブレズレン福音教会は、「ヤン・フスはチェコの歴史に影響を与えた人物である。15世紀の初めに、彼はボヘミアで指導的な思想家かつ改革運動の代表者の一人となったが、それはルターやカルヴァン、ツウィングリといった彼の継承者たちよりも1世紀前のことであった」と公式サイトで説明している。
「何世紀にもわたって、彼の名に対して二つの全く異なる評価や感情があった。チェコの宗教改革から出てきた教会は、彼を神の証し人として、また民主社会において真実かつ責任ある勇敢な人の模範として尊敬した。他方、彼は異端と見なされ、その態度は教会を脅かし、彼についての記憶は抹消されるべきだとされた」と、同教会は述べている。
同教会の説明によると、フスは大学講師として働く一方、とりわけプラハのベツレヘム礼拝堂で説教者として奉仕した。教会生活と社会の矯正を求める考え方を守ったことで、フスは数えきれないほど多くの困難に陥った。教会権力と対立し、破門され、聖務禁止のためにプラハを出て行かなければならなくなった。コンスタンツ公会議(1414〜18年)に参加するため、ドイツのコンスタンツに着くと彼は逮捕され、投獄されて「異端」として幽閉され、司祭としての叙品を奪われ、1415年7月6日に火あぶりにされた。
「フスの働きは幾つかの影響を及ぼした。聖書に対する忠実さがカトリック教会でも増えた。信徒と司祭を同等とすることを意図した両方の種類の聖餐は、その務めを大きく果たした。免罪符の販売はもはや戦争勢力に資金をもたらすことはなく、そして現在の教皇は反キリストの姿をしたものでは決してない」と、同教会は述べている。
同教会によると、フスの功績はチェコやスロバキアの教会、またヨハネ・パウロ2世によって認められているという。「火あぶりにされたヤン・フスは、今日の社会にとって、私たちの人生が無意味ではないこと、良い働きには未来があること、そして全ては最も公平な審判者によって裁かれるだろうということを証しする名高い人物である。それは私たちにとって、そしてチェコと欧州連合(EU)全体にとっての、フスの福音である」と、同教会は述べている。
また、記念行事のもう一つの主催者であるチェコスロバキア・フス派教会も、フェイスブックでフス没後600周年のイベントの様子を写真入りで伝えた。
一方、バチカン放送局は5月2日、教皇フランシスコがヤン・フスの没後600周年のために、プラハ名誉大司教のミロスラフ・ブルク枢機卿を使節に任命したと報じていた。また6月15日には、教皇がヤン・フス没後600周年を機に、チェコ・ブレズレン福音教会とチェコスロバキア・フス派教会の代表者たちと面会したと伝えていた。
チェコ・ブレズレン福音教会とチェコスロバキア・フス派教会が加盟している世界教会協議会(WCC)の欧州議長であるアンデルス・ウェジリド名誉大監督(スウェーデン国教会)は、WCCの公式サイトで、「教会が深く分裂している時代」にあって、「フスは彼に従う人たちに対し、神の選ばれた民からなるキリストの神秘的な体としての教会が一つであることを宣べ伝えるよう呼び掛けた」などと述べて、フスに対する深い敬意を表した。