高知県生まれの牧師、奥村多喜衛の生誕150周年を記念して、「ハワイに高知城をたてた男 奥村多喜衛展」が、来月9日から高知市立自由民権記念館自由ギャラリー(同市)で開かれる。6月28日まで。日本が貧しい時代、生き延びるためにハワイに永住し、汗と涙を流した数十万の日本人移民社会の中で彼らの生活向上のために教育・医療・矯風活動の発展に努め、多くの社会的弱者を救済した奥村の生涯を伝える資料約100点を展示。激動の時代をハワイの日系人社会のために尽くした「サムライ」牧師の思想と行動を通して見えてくる現代的意味について考える。
奥村多喜衛は、1865年、土佐藩(高知県)の士族の家に生まれた。衆議院議長も務めた同じ土佐藩出身の政治家で、敬けんなクリスチャンでもある片岡健吉の影響を受け、一時期は土佐発祥の自由民権運動にも関わるが、最終的な救いをキリスト教に見出す。転機が訪れたのは22歳の頃。熊本バンドのメンバーの一人で、大阪教会の宮川経輝牧師から洗礼を受け、同志社神学校に入学した。卒業後、当時のハワイ社会を代表するキリスト教団体であるハワイアン・ボードに招へいされたことをきっかけにハワイに向かい、日本人移民の現状を目の当たりにする。農業従事者の過酷な労働環境、野放しにされている子どもたち、アメリカ化運動の活発化。秩序ある日本人社会を築くためには、自らが移住する必要があると決意した奥村は、1896年に家族をハワイに呼び寄せ、1951年に天に召されるまでその生涯をハワイの日本人移民と日系人のためにささげた。
奥村は、ハワイ移住直後から教会開拓を行い、オアフ島ホノルル市にマキキ聖城基督教会を建てた。信徒数が増えた教会は、1932年に新会堂を建設。それが、ハワイの高知城と呼ばれる、マキキ天守閣だった。奥村は遠く離れた故郷、高知城の天守閣とそっくりな教会堂を造ったのだ。生まれも育ちも侍であった奥村は、その気骨も侍そのもので、人々から「サムライ牧師」と呼ばれて親しまれた。ハワイで成長する2世の子どもたちにも、日本人であることを誇りに思い、その上で米国社会で立派に活躍してもらいたい。それが奥村の願いでもあった。
太平洋戦争が始まると、ハワイでは多くの日系移民が迫害を受けたが、それでも教会は弾圧に負けることがなかった。奥村の熱い思いがこもったハワイの高知城は、今では全米最大の日系教会に成長を遂げ、日系人だけでなく、多くの米国人も訪れ、交流の輪を全世界に広げている。
奥村の生誕150周年に当たる今年は、「ハワイに高知城をたてた男 奥村多喜衛展」をはじめとする各種記念事業が開催される。先月26日には、奥村の母校である高知県立高知追手前高校(当時の高知中学校)で、奥村多喜衛協会から贈られたクロガネモチが記念植樹された。
同協会会長で高知大学非常勤講師も務める中川芙佐(ふさ)氏は、その著書『シリーズ福祉に生きる65 奥村多喜衛』(2013年、大空社)の中で、「移民時代にハワイに渡り、日本(系)人社会のリーダーとなった日本人は少なくない。しかし、奥村のようにハワイ共和国、ハワイ革命、第一次世界大戦、第二次世界大戦を経験し、さらに日米とハワイの政財界人を巻き込んで活動した人物は他に類を見ない」と記している。
2015年の今、奥村の記念事業を行う意義について中川氏は、「奥村は決して財政的に恵まれてはいなかった。お金持ちではないが、"お人持ち"だったからこそ偉業を成し遂げることができたと思う。奥村の足跡をたどれば、お金では買えないもの、人を育て、人を大切にし、だからこそ人が喜びをもって協力してくれる、お金がなくてもできることがあることが分かるはず。だからこそ私たちも手弁当でこの事業をやっている。今のお金優先の社会にあって、何よりもその人を大切にする心を感じ取ってもらえれば」と話している。
6月12日には、「奥村多喜衛牧師生誕150年祝賀会」が、ザ・クラウンパレス新阪急高知(同市)で開催される。ハワイからもたくさんの人が訪れ、一大イベントになる予定だという。参加の場合は、事前のチケット予約が必要。詳細・問い合わせは、奥村多喜衛協会の野村ひとみさん(090・4507・4187)まで。