明治維新に大きく貢献した幕末の志士、坂本龍馬の銅像があることで有名な高知市の桂浜で16日朝、志ある人が手を取り合って平和を誓うイベント「Let's go! hand in hand 2014」が開かれ、全国各地から、子どもからお年寄りまでさまざまな世代の約750人が集結。太平洋を見下ろす龍馬像のたもとから、シェイクハンド龍馬像が設置されている高知県立坂本龍馬記念館前までの約540メートルを握手でつなぎ、家族を大切に、思いやりと勇気を持って正々堂々と前向きに生きた龍馬の精神を世界へ発信した。
シェイクハンド龍馬像は、2010年にNHK大河ドラマ「龍馬伝」で龍馬ブームが巻き起こり、同記念館にも全国から観光客が押し寄せたのを機に、ドラマのテーマでもあった“シェイクハンドと笑顔”を象徴するものをつくろうと、同館が2011年に設置。多い時には1日で3千人以上訪れるという来館者の誰もが握手をしていくようになり、そのブロンズの手のひらは今ではピカピカになっているほどだ。「Let's go! hand in hand」イベントは龍馬の誕生日であり命日でもある11月15日を記念してこの時期に行うようになり、今年が3回目。
坂本龍馬は1835(天保6)年、土佐藩郷士(下士)の家に生まれた。28歳で脱藩してからは志士として活躍し、日本で最初の株式会社とされる「亀山社中(後の海援隊)」を結成。薩長連合を取りまとめる傍ら、後に成立した維新政府の綱領の基となった「船中八策」を考案するなど、大政奉還に尽力した。しかし、1867(慶応3)年11月15日、京都で、同じ土佐藩の脱藩同志である中岡慎太郎と共に刺客に襲撃され、明治維新を見ることなく33歳で暗殺された。
幕末を駆け抜けたかのような龍馬の生き方はクリスチャン精神にも通じる隣人愛、ヒューマニズムに富んでいる。モットーは「私心を捨て公に尽くす」。人が人を伐(き)り、自ら切腹することも当たり前の時代にあって、人との出会いを大切に、「人と言ものハ短気して、めつた二死ぬものでなし。又人おころすものでなしと、人〃申あへり」(人間というものは短気を起こして死ぬようなことをしてはなりません。また、人を殺したりしてはいけない、と皆で話し合っています)と、1866(慶応2)年12月に、姉の乙女に宛てた手紙に書くなど、命の尊さを説いていることからもそのことがしれる。
江戸遊学中には、いとこに当たる山本数馬が、拾った時計を質入れしたことが発覚し、切腹を迫られる事態となったが、龍馬は数馬を幕吏の手から逃す手助けをした。生き延びた数馬は後に沢辺琢磨と名乗り、ニコライ堂で有名な、日本ハリストス正教会初の正教徒にして最初の日本人司祭となった。
また龍馬の甥(おい)で、自由民権運動家でもある坂本直寛(なおひろ)は1885(明治18)年に高知基督教会(日本基督教団高知教会)で同じ土佐の自由民権家の片岡健吉らと共に受洗。1897(明治30)年に一族を挙げて北海道の原野に移住してからは、聖職者として北見教会を設立するなど北の大地での伝道に尽力したほか、その兄(同じく龍馬の甥)で龍馬暗殺後に家督を継いだ坂本直(なお=幕末には高松太郎と名乗る)も高知教会の熱心な信者であった。
さらには、諸説ある中で龍馬の有力な暗殺犯として知られる今井信郎も晩年はクリスチャンとなるなど、龍馬の子孫や関わった人たちの中には、後にクリスチャンとしての生き方を貫いた人も少なくない。
これについて龍馬の系譜を引く坂本家九代目の坂本登さん(77)は、「祖父の代までは熱心なクリスチャンだったと聞いています。父も洗礼は受けていたはずです」と穏やかに話し、「わたしはクリスチャンではありませんが」と断った上で、「坂本家の九代目として自由と平等を訴えた龍馬の精神を後世につないでいきたい」と語ってくれた。(続く)
■ 750人が龍馬スピリッツ発信:(1)(2)