カトリック長崎大司教区長崎中地区評議会主催の劇「そしてサンタ・マリアがいた―キリシタン復活物語―」が11日、長崎市千歳町チトセピアホールで公演された。長崎新聞が報じた。
この劇で描かれたのは、日本でキリスト教禁止令が解かれる少し前。1865年3月17日、完成したばかりの大浦天主堂(長崎市)でフランス人宣教師ベルナール・プティジャン神父が祈っているときに起きた奇跡の物語だ。
当時のクリスチャンは「キリシタン」と呼ばれ、1587年のバテレン追放令以降、厳しい弾圧に耐えていた。日本のキリシタン弾圧による殉教者は、場所・名前が明らかな者だけでも4045人を超え、実数は4万人にのぼると推測されている。しかもこの中には「天草・島原の乱」で原城にたてこもった後、首を刎ねられた3万数千人の農民は含まれていない。
禁教下のキリシタンは、生まれた子どもに洗礼を授け、押し入れに隠した観音像に似せたマリア像を拝みながら表向きは仏教徒として、しかし隠れて信仰を守り続けてきた。
そんな厳しい状況が約300年も続いていた日本の長崎で、プティジャンが祈っていると、一人の女性が話しかけてくる。「ワタシノムネ、アナタトオナジ(私の宗教はあなたと同じ)」と。宣教師は感激し、彼ら「キリシタン」を会堂内に招きいれ、彼らは聖マリア(イタリア語、スペイン語などでサンタ・マリア)像との対面を果たす。
この出来事は当時「東洋の奇跡」と賞賛され、日本では「信徒発見」と呼ばれ、現在に伝わっている。その後も「浦上四番崩れ」と呼ばれる凄惨な迫害もあった。中には腰巻一枚で雪の中に放置される拷問を受けた女性もいたが、それでも迫害に屈しなかった。そしてついに1873年、日本でのキリスト教禁止令は解かれた。
この「信徒発見」から今年は150年の節目であることに加え、現在長崎県は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の世界文化遺産への推薦書を提出。国連教育科学文化機関(ユネスコ)はこれを正式に受理し、「国際記念物遺跡会議」(イコモス)による本格調査が始まっている。来年には遺産登録の是非をユネスコの世界遺産委員会に勧告する予定のため、地元長崎以外からも注目を浴びている。
今回の公演の出演者やスタッフは、長崎中地区評議会の司祭や信徒が担当した。鑑賞した長崎市の信徒古川信雄さん(74)は「先祖の信仰の強さをあらためて感じた。後世に伝えていかなければいけないと思った」(長崎新聞)と感想を語った。