午後7時半からは日本聖公会神戸聖ミカエル教会の聖堂で、「祈りと祝福のとき」と題した合同の祈りの集会が行われ、約500人が参加した。毎年この神戸市民クリスマスは、市内近郊の諸教会と神戸YMCA、YWCA、キリスト教諸団体と協力団体による献金と寄付によって運営されている。今年、 進行の中心となったのは、若手の聖職者・教職者たち。司式は、同教会の聖職候補生と日本基督教団の伝道師が務めた。聖書朗読や祈りは、カトリックや日本キリスト教会、単立バプテスト、日本バプテスト連盟の若い伝道師が交代で受け持った。
前奏に続いて、イザヤ書9章1節「闇の中を歩み民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」が朗読された。続いて、カトリック神戸中央教会員の2人によって「マリアの賛歌」が朗唱された後、関西学院大学神学部トーンチャイム隊による演奏「天使たちの賛美」が披露された。
この日の説教は、日本福音ルーテル神戸教会の松本義宣牧師が講壇に立った。松本牧師は、まずクリスマスの祈りと祝福の時を共にできることの喜びを語った。しかし、「平和を実現する人は幸いである」というイエス・キリストの言葉にもかかわらず、現代の世の中はとても平和は実現しておらず、それとは程遠い状態でもあると述べた。
そして、「栄光など現れないのではないか、という人もいるかもしれない。でもそうではない。だからこそイエス・キリストは、平和を実現する人は幸いである、その人こそが御心にかなう人であると語ったのです」として、ドイツに伝わる「クリスマスの天使の歌」という小さな話を紹介した。
クリスマス、天では天使たちの賛美が響いていた。しかし、一人の天使がその歌声に加わっていなかった。それに気づいた聖ペテロがその天使を呼んで尋ねた。「どうして君だけ歌っていないのだい?」 天使は答えた。「戦争やテロ、抑圧や貧困、病や孤独が満ちている時代に歌っている場合じゃないでしょう、聖ペテロ。とてもそんな気にはなれません」。「もしそうなら」、聖ペテロは言った。「君は天使の群れにとどまっていないで、地上にいくべきではないか」
天使は地上に下り、最悪の状況を見て回った。誰も歌っていなかった。人々は、お金がなく苦しみが多いのだ。仕事がない、あればあったで悩みは尽きない。互いに語り合っていた。人間は憂慮すべきことばかりを話し、誰もが歌を歌う気力を失っていた。
とある通りで天使はたった一人、歌っている人をみつけた。天使はその人に尋ねた。「なぜ歌えるのですか、そんなはずはないのに」。その人は答えた。「世界を見て、世界を聞いてみてください。戦争、テロ、抑圧、貧困それに孤独ばかり。でもだからこそ、私は歌うのです。困窮に対して、闇に対して。この世を支配する暗闇に、私は歌声を上げないではいられない」
天使は言った。「君と一緒に歌わせてもらえないか。その歌声を2つにしたいから」
物語に続けて松本牧師は語った。
「今日の神戸市民クリスマスのパンフレットにこう書かれています。『ひとりの歌声がみんなに届く』。平和を実現するために、私たち一人の力は本当に小さいものです。何をしてよいか、どこから始めるべきか、途方にくれてしまう。しかし、たとえ最初の一人になれなくても、ならなくても、見渡せばあなたの隣に、私の隣に、既に歌いだしている人がいるでしょう。一人の歌声があるでしょう。さまざまな活動がなされているのが見えてくるでしょう。私たちはそこに歌声を合わせていくことができる。あなたと一緒に歌わせてください。その歌声を2つに、3つに、4つにしよう。そう思えるでしょう。
一人の歌声がみんなの心に届く。平和の実現もまたそのような一人の働きに、一人が加わり、もう一人が加わりみんなの心に世界の平和が実現するのです。私たちの一方の光が、広がっていって暗闇を照らしていくのです。私たちはそのような平和が、神の子とされる幸いだと知っている。神様の栄光を表すことを知っています。そのために声を上げていきたい、そう願いたいと思います。クリスマス、おめでとうございます。アーメン」
続くとりなしの祈りでは、神戸で教派を超えて社会支援活動をしている4団体、東北の南三陸で支援活動を行っている「パストラルセンター HUGハウス」、路上支援活動を行う「神戸の冬を支える会」、フィリピンのミンダナオ島に図書を送っている「ミンダナオ子ども図書館」、同じくミンダナオ島で児童養護施設を運営する「HOUSE OF JOY」の活動のために祈りがささげられ、この日の献金が各団体に贈られることが告げられた。最後にアッシジのフランチェスコの「平和の祈り」が、参加者全員によって”決意の祈り”として朗読され、聖歌「聞け、天使の声」が歌われて幕を下ろした。
この日、事務局を務めた神戸YMCAの斉藤靖さんによると、神戸市民クリスマスは、各教派の若手の伝道師や聖職候補生、助祭が中心になって夏から準備をしているという。初めは互いの教会のことをよく知らず、礼拝を作るのにどこから始めてよいのか分からないというが、暗中模索の中、さまざまな意見を交わすことから始め、それぞれの教派の典礼や用語を学んでいくのだという。しかし、回を重ねるうちに、「礼拝のこの部分はどういう起源で始まったのですか」という問い掛けや、「このやり方はうちでも取り入れたい」などと、互いの教会への理解が深まっていくという。
この日の祈りも、欧州で実践されているエキュメニカルな礼拝式文や、沈黙の祈りも取り入れられ、多様でありながら、それらが見事に調和した礼拝だと感じさせられた。神への賛美の仕方はさまざまなでありながらも、多様性を持ちつつ、神に向かって祈る心は一つであると感じる、素晴らしい恵みのひとときだった。
■ 第56回神戸市民クリスマス:(1)(2)