カトリック教会や外国人の共生をめざす関西キリスト教代表者会議などが共催し、大阪に住む外国人と交流するイベント「国際協力の日」(インターナショナルデイ)が19日、カトリック玉造教会(大阪市中央区)で行なわれた。
カテドラル前の広場は、この日のための屋台でぐるりと囲まれ、にぎわう人で人いきれがするほどだった。参加者は日本人の他、フィリピン、ベトナムなどアジア系の人々、またペルー、ブラジルなど南米系の人々、修道服に身を包んだ若い外国人シスターなど国際色豊かだった。
午前11時からのミサでは、9月に着任した前田万葉大阪教区大司教が「外国人が暮らしやすい社会は日本人にも暮らしやすい社会です」と説教。通訳を通じて聴いていた外国人参列者も深くうなずいていた。閉祭の歌「あめのきさき」は、日本語、英語、韓国語、ポルトガル語、ベトナム語、スペイン語の6カ国語で歌われた。
ミサ終了後には、フィリピン、ペルー、ボリビア、ブラジル、韓国、中国などの各国の料理、また大阪に住む外国人によるエスニック料理や、アジアの雑貨など、46の屋台が出並び、延べ3千人以上の来訪者でにぎわった。
たくさんのユニークな料理を前に、匂いにひきつけられ思わず目移りする。毎年、さまざまなエスニック料理を食べるために遠方からやってくる人も多いとか。筆者が意を決して選んだのはペルー料理の屋台。ジャガイモとチキンを使った「ペルー版にくじゃが?」という感じのカラプルクラという料理を頂いた。クミンやコリアンダーなど香辛料が効いていてとてもおいしかった。さらにベトナムのフォーも購入。おなかがいっぱいだ。
特設ステージでは、20種類以上の国際色豊かなパフォーマンスが行なわれた。フィリピンのダンスやベトナムのチォンコムなど、初めてみる踊りは色鮮やかで見ていて楽しい。その他、韓国の伝統打楽器による演奏パンクッや、ペルーのマリネラダンス・バリーチャ、フィリピンのバンブーダンス、ベトナムの舞踊や南米のサルサやタンゴなどに、子どもから大人まで来場者が見入っていた。
カトリック玉造教会で「インターナショナルデイ」が行われるのは今年で20回目。開始当初から中心となって関わってきた、大阪大司教区の松浦悟郎補佐司教に話を伺った。
「大阪は昔から鶴橋など在日外国人のコミュニティがあった街です。1980年代からは、出稼ぎのためにフィリピンの人たちが増えてきて、日曜日にミサのため教会に集ってくるようになり、コミュニティができました。90年代には日系ブラジル人やペルー人の入国者が増えてきて、内戦の激化で難民となったアフガニスタンの人々などもでてきた。そこで彼らの就業や生活の相談活動を行ううちに、教会がシェルター(一時避難・保護施設)として活動を行なうようになってきて、弁護士や市民団体、聖公会やバプテスト、自由メソジスト教会、在日大韓キリスト教会などともつながって、さまざまな援助活動をするようになってきたんです」
「今日来ている子どもたちは、日本人と結婚して生まれたフィリピン系の子どもも多いです。でも日本の学校に入学すると、言葉や文化の違いからいじめに遭うことも多いです。そんな中、日曜日ごとに集る教会が大事なコミュニティになっています」
そして、ステージで踊る子どもたちを見つめながら言った。
「ここが、彼らにも自分らしくいられる場所になっているんです」
ステージでは、フィリピン人の男の子と女の子がダンスを踊る。エリック・クラプトンの「Change the World」を素晴らしい歌声で歌う若者も。彼らは生き生きとしていて、その澄んだ歌声には胸を打たれるものがあった。
その姿から、異なる文化や外国人に決して寛容ではない日本という異国の土地で、確かに教会こそが「自分らしくなることができる」場所なのかもしれないと感じた。
午後4時半、イベントも終わりに差し掛かるとちょっとした飛び入りが。阪神タイガースのジャージを来た男性がステージに上がり、前日のプロ野球プレーオフでの阪神のセリーグ優勝を祝って「六甲おろし」を歌い始めた。するとたちまち、あたりは立ち上がって手をつなぎ、「オウ、オウ、阪神タイガース」の歌声が響きわたった。
そして、最後には毎年歌われるという「We Are the World」を皆が立ち上がって手をつないで歌う中、今年のインターナショナルデイは幕を閉じた。松浦司教の「また来年も会いましょう」のあいさつと共に。
グローバル化、そして少子化が進む中、日本は好むと好まざるとに関わらず、ますます多くの外国人が住み生活する国となっていく。その一方で、私たちの耳には、ヘイトスピーチ団体のニュースを耳にしない日はない。日本で本当の「多文化共生」をどう築くか、そして「ニューカマー」としてやってくる人々の「祈り」と「信仰」の場を、キリスト教会はどう築いていくか。彩り豊かなエスニック料理と、国際色豊かなパフォーマンスを見て楽しく時間を過ごしながら、そんなことを考えさせられる一日だった。