カトリックの社会運動家で「原発のないブラジル連合」を率いるシコ・ウィタケー氏がこのほど来日し、一般社団法人ピープルズ・プラン研究所(東京都文京区)が7日(火)午後2時から5時まで、同研究所で「シコ・ウィタケーさんを囲む会」を開く。
シコ・ウィタケー氏(本名:フランシスコ・ウィタケー・フェレイラ(Francisco Whitaker Ferreira))は1931年生まれ。2006年には「ブラジルの民主主義を強化した社会正義のための働きに生涯にわたって献身し、『世界社会フォーラム』の誕生を助け、『もう一つの世界は可能だ』ということを示してきたこと」により、ノーベル平和賞に代わる賞とされるライト・ライブリフッド賞を受賞した。
世界社会フォーラムは、スイスのダボスで開かれる世界経済サミットに対抗してつくられた市民フォーラムのこと。ウィタケー氏は発案者の一人で、現在も国際コーディネーターを務めている。英語による著書に『Planning Yes and No』(1976年)、ポルトガル語では『O desafio do Forum Social Mundial』(2005年)がある。
生涯にわたって自国と亡命先の両方で民主主義のために闘ってきた。働きの根底には解放の神学という急進的なカトリック神学があり、ウィタケー氏はそれを、「真の宗教、とりわけキリスト教とは、基本的に貧しい人たちを高く上げ、彼らの権利のために、そして持てる者たちによる持たざる者たちの搾取に対して闘うこと」と表現している。
ウィタケー氏の率いる「原発のないブラジル連合」は昨年9月13日、同研究所などと連携し、日伯原子力協定に反対する署名を提出。これには日本の市民団体や一部のキリスト教団体なども署名した。同国では現在2基の原子炉が稼働中で、3基目が建設中だ。
8月2日に安倍晋三首相がサンパウロのブラジル日本文化福祉協会会館(文教ビル)を訪れた時、「原発のないブラジル連合」と日本から移民した被爆者たちでつくる「ブラジル被爆者平和協会」は、同協定に対する反対の意志を安倍首相に表明した。
ウィタケー氏は、1965年から翌年までブラジル司教協議会の企画顧問として働いたが、同国の軍部により、妻と4人の子どもたちとともに国外へ追放された。その後15年間、フランスで国連教育科学文化機関(ユネスコ)のコンサルタントなどを務めた後、チリの国連ラテンアメリカ経済委員会で4年間働いた。フランスに帰国後、ブラジル司教協議会が始めた「支配を克服する社会のための国際スタディ・デイズ」の調整役を6年間にわたって務めた。
82年にブラジルへ戻ると、まず、サンパウロでパウロ・エヴァリスト・アルンス枢機卿の政治・社会問題顧問として働いた。89年から96年まではブラジル労働者党の市会議員も務め、2006年初めまで同党の党員を続けた。
ブラジル司教協議会正義と平和委員会(CBJP)の担当幹事となったウィタケー氏は、民衆のイニシアチブ法案を発案・実施し、選挙の腐敗、とりわけ票を買うことに反対する100万人の署名を集めた。この法案が1999年に承認された後も、CBJPの代表として反対運動の全国委員会立ち上げに貢献した。
「シコ・ウィタケーさんを囲む会」についての詳細は同研究所のウェブサイトで。