続いて、ナレーターは「イエスがマグダラのマリアを弟子だけではなく妻としたという考えがキリスト教の信仰の主流となれば、教会における独身主義や男性優位の根本を覆すことになります」と語る。
ここで、聖公会司祭で神学者のロビン・グリフィス・ジョーンズ氏が登場。「イエスが結婚していたという証拠を深刻に受止めると、キリスト教的思想や規律、生活や慣習の大部分が消えていくことになります」と語る。
しかし、そもそも福音書や新約聖書に含まれる他の書簡は、伝統的に教会が否定してきた、イエスが結婚していた可能性を示唆する外典文書とは一致しないが、正確な歴史的文書として受け入れられるべきものなのか。このドキュメンタリーではその問題には答えないが、イエスとマグダらのマリアが極めて親密な関係であり、マリアはペテロや他の弟子たちに匹敵する地位を持つ女性の弟子であったという、古代の理論やグノーシス主義の文書に大きく拠っている。
番組で問いかける問いには次のようなももある。このパピルス紙は本当に「古代キリスト教の文書」なのか。この古代文書が発見されたのは何十年も前だが、なぜ公に報告がなかったのか。 なぜキング教授がこの文書を公にし、『イエスの妻による福音書』と命名したことが大きな反響を呼んだのか。この文書は、ローマ・カトリック教会が何世紀にも渡って娼婦として扱い、世俗文化においてはときに誘惑する女として描かれてきたマグダラのマリアの名誉回復につながるのか。
もちろん、最大の問題は『イエスの妻による福音書』が今日のクリスチャンにとってどのような意味をもつのかだ。
「こういう考えは理に適っていると思ってもいいし、こういう考えで自分の好きな方向にキリスト教を導くと思ってもいい。あるいはこんなのは全てくだらないと思うのも勝手です。何でもいいんです。古代の人々は色々な異なる考えを持っていたんだということがわかります」と、ニューヨーク大学の古代世界研究所所長のロジャー・バグノール博士は言う。バグノール博士は、パピルス紙片とインクの物理的な状態から、この紙片の年代を鑑定した。
英国北ヨークシャーのアンプルフォース修道院のベネディクト派修道士であり、聖書学教授でもあるワンズボロ神父は、これらの問題を異なる視点で見ている。彼は、『イエスの妻による福音書』が現代の信仰者にとって重要な意味を持つという可能性を認めないクリスチャンの意見を代弁する。
「この文書はキリスト教教会にとって大した重要性は持たないでしょう」とワンズボロ神父。「そういうことを信じていたグループが2世紀に存在したという証明にはなります。おそらく正典の意味を深く考えず、イエスが結婚していたはずがないということが理解できていないキリスト教徒または準キリスト教徒のグループです」
「それは信仰にとっての興味というより、歴史的な興味です」とワンズボロ神父は締めくくる。
一方、キング教授は、『イエスの妻による福音書』が、セクシュアリティ、結婚、女性のリーダーシップなど、現在に至るまで長い間クリスチャンに影響を与えてきた様々な問題に訴えかけるものだと信じている。キング教授の考えでは、この文書は「妻であり母である女性たちもイエスの弟子となることができるのか」――そしてつまりは、教会の指導者になることができるのか――という問いに関して、イエスとその弟子たちが交わすもっと長いやりとりの一部である。
■『イエスの妻による福音書』ドキュメンタリー番組:(1)(2)