食事を
使徒の働き27章27節~38節
[1]序
今回は、使徒の働き27章27節から38節の部分、困難な船旅の場面を味わいます。
20節で見たように、ローマへ向かい船旅を続ける人々は、暴風のため、「最後の望みも今や絶たれようとしていた」程でした。この絶望的な状態に陥っている人々に、パウロは励ましを与えたのでした(21~26節)。
励ましの中心として、神の御使いがパウロに告げたことば(24節)をそのまま力強く人々に伝え、「私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます」と、パウロは自分の確信を明らかにしました。パウロの確信に満ちた励ましのことばは、困難な状況の中で絶望的になっていた人々に大きな励ましとなったのです。
しかし事態はすぐには好転せず、船は、その後十日以上、困難な航海を続けていたのです。27節のはじめには、「十四日目の夜になって、アドリヤ海を漂っていると」とあります。
また33節の「あなたがたは待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして、十四日になります」などから判断して、パウロの励ましを受けた後も、人々の状況がいかに厳しいものであったか推察できます。
[2]十四日目の夜に
(1)四つの錨を投げおろし
ところが十四日目の夜になって、航海に熟練している水夫たちは、真夜中ごろであったにもかかわらず、「どこかの陸地に近づいたように感じた」のです。この直感は当たっていました。28節に見るように水の深さを測ると、確かに陸地に近づいていることが確証できました。
しかし暗闇の中で、これ以上陸に近づけば、いつ何時暗礁に乗り上げてしまうかも知れません。このとても危険な成り行きを避けるために、「ともから四つの錨を投げおろし」、これ以上船が陸地に近づかないようにし、夜明けを待つことにしたのです。これらの処置は、熟練した船乗りたちにとって、当然なすべきことでした。
神の御使いを通してパウロに与えられ、パウロを通して人々に伝えられた約束。パウロと彼の同船者は、船がどれほど困難に直面してもローマに着き、パウロはカイザルの前で福音を弁明する。
しかしこの約束が人々に伝えられたからと言って、すぐに暴風が止んだわけではありません。依然として船は海を漂っていました。しかも危険に直面した際、経験を積んだ水夫たちの判断と処置が大いに用いられています。神の約束が成就されて行く道すじがどのようなものであるか理解するため、この事実は大切な手掛かりを示してくれています。
(2)パウロの警告
しかし船が暗礁に乗り上げないように作業を進めている、まさにその最中にとんでもない事態が起こりました。水夫たちは船を救うことより、自分たちだけが危険を脱出すればと、「船から逃げ出そうとして、へさきから錨を降ろすように見せかけて、小舟を海に降ろしていた」(30節)のです。
パウロはこの事態を鋭く見抜き、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがも助かりません」と、百人隊長や兵士たちに警告します。兵士たちは、乱暴な方法で事態の解決をなします。この場合も、神の約束が成就していく過程がどのようなものか見ます。
確かに困難な船旅の中にあっても、神が必ず自分たちを救い出してくださるとパウロは確信していました。しかしそうだからと言って、すべての事柄を傍観し、成り行きにまかせる態度をパウロは決してとらないのです。
神の約束の成就を妨げる動きを敏感に察知し、警告を与えたのです。熟練した水夫たちの役割がどれほど大切であるかパウロは承知していました。「私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます」(26節)と確信していたパウロは、そのような事態に直面した場合、熟練した水夫たちの働きがなくてならないものであると悟っていました。主なる神が約束を成就なさる場合、どのような手段を用いてことを進めなさるかを十分承知し、その一つ一つの手段に注目し、それらを大切にしています。
[3]食事を
33節からの部分も、興味深いです。
いよいよ翌朝は、「砂浜に向かって進んで行く」(40節)、その段になって、パウロが人々に語りかけた内容が、33節と34節です。その中心は、「食事をとること」です。これから陸地に近づこうとしている。船はいつ座礁するかもしれない。それぞれが必死に陸地まで泳いだり、板切れなどにつかまってたどり着く。そのためには、十分食事をとり備えねばならないのです。それまで十四日間規則正しい食事をすることもできなかったと推察されます。
この大切なときに、パウロは一同に食事をとるように勧めています。神の約束に堅く信頼し、いかなる事態に直面しても約束のことばに立ち、主なる神を信じ仰いで進むパウロ。このパウロは、同時に、神が約束を成就するために、人々の体力を用い給うことをよく悟っています。信仰や人々の精神だけでなく、体力も用いられる。そのためには食事がいかに重要な役割を果たすかパウロは熟知しています。
このように、神の約束の成就とのかかわりの中で、食事を大切に考えているパウロの姿を見ると、パウロがテモテに伝えていることばを思い起こします。食物は、神が造られたものです。
「……食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。神のことばと祈りとによって、聖められるからです」(Ⅰテモテ4章3節後半から5節)
すべての善きものの源であるお方から与えられるものです。主なる神はご自身の約束を果たし、ご計画を成就し、ご栄光を現される経過で、ご自身が創造なさったものを手段として用いられます。
この基本的原則をパウロはテモテに教えているだけでなく、まさに自らも実践しています。
[4]結び
神の御使いを通して与えられた神の約束にパウロは深く信頼し、たとえ乗船が座礁しても、それでも必ず皆救われると確信していたのです。
またパウロは神の約束に生きる者として、食事を大切にしています。そのパウロは、「パンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始め、そこで一同も元気づけられ、みな食事をとった」のです。最も身近な食事を、神のことばと祈りとによって聖められる歩みです。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。