第2章 ウルトラ良い子の特質
2)本質志向性
さてウルトラ良い子の第二の特質は、常に彼らが本質的なものを強く慕い求めるという言わば「本質志向性」と言うべきものを有しているという点にあります。筆者は、「生まれながらの哲学者」などと呼んでいます。彼らはなかなかの真理探究者で、思索家です。彼らは通常の子供たちにも優って小さい頃よりよく「なぜ」、「どうして」と言う質問を親に発します。そこで親が一通りその理由を話して聞かせますが、ありきたりのその場しのぎの解答では納得できず、またしてもその解答に対して更に「それはどうして」、「なぜなの」と聞き返してきます。あまりにもしつっこく何度も尋ねるので親の方は、すっかり面倒になり、「うるさいわね。もう何度も言ったでしょ。いい加減にしなさい」などと叱りつけたり、拒否したりしてしまいます。中には「あなたは頭がおかしんじゃないの。普通の子なら一、二度説明したらすぐわかるのに」と溜息交じりに罵る母親もいます。しかし、後になって対人関係不全症候群に悩む子供たちの悲劇は、このようなやり取りの中から徐々に造成されていくのです。
彼らをまだ小さいのでよく分からないだろうなどと、みくびったり侮ったりしてはなりません。彼らは「生まれながらの哲学者・思索家」で、物事の奥にある真理や真実、原因や理由を深く突き止めないと、自らの心がいつまでも落ち着かないというほど知りたがり屋で、かつ本物・本質探究者なのです。また彼らはいい加減なところでは途中下車できないほどの本物志向の人生探求者でもあるのです。
ある時、二歳になったばかりの幼子がお父さんに「パパ、これナニ?」と尋ねました。父親は「これは『椅子』だよ」と答えました。するとその子はすかさず「ドウチテ?」とその理由を聞きました。そこでお父さんは「こういう形をした物は、みな『椅子』と言うの」と畳みかけるように答えました。納得できない幼子は、またしても「ドウチテ?」と尋ねました。そこで父親は「お座りするものは皆『椅子』と言うんだよ」と答えました。そうするとその幼子は傍にあった「おまる」(幼児用便器)を見てうれしそうに「いちゅ(椅子)、いちゅ」と言いました。父親はややあわてて「それは違うよ。ウンチするための『おまる』だよ」と訂正しました。しかし、幼子は納得できず泣き出しそうな顔でまたしても「おまる」を指さし「いちゅ、いちゅ」と言い張りました。
この時その父親は重要なことに気付かされました。それは自分たち大人は、案外物事をいい加減に鵜呑みして納得しているが、いかに幼子の方が事物を深く真摯に追求し、理解し、納得しようとしているのか、それにもかかわらずそれらの子供たちを見くびり、十分な説明、納得をさせないうちに、大人の考え方で一方的に押しつけ、それを受け入れない子供を物分かりの悪い、言うことを素直に聞き入れない子供と決めつけて、叱ったりしていたかに気付かされました。
実に、子供たちは大人たちに優って事物の本質や事柄の奥に潜む真理を知りたがっているものなのです。とりわけ「ウルトラ良い子」と呼ばれる素晴らしい感性を生まれながらに豊かに宿している子供たちにとっては、なお更なのです。ところが大人たちはそれと気づかず彼らを見くびり、軽くあしらい、更にはわからず屋と決めつけ、たしなめ、大人の考えや仕方に強引に引き込もうとしてしまうのです。するとその時、早くも本質志向性を持った「ウルトラ良い子」たちの心に抑圧を与え始め、更にはその尊い心と感性に重大な傷を付け始めてしまうことになるわけです。この点によくよく注意を払う必要があります。
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。