松っちゃんは天国に行った
11月の晩のことでした。集会で祈っている途中、入口で、ドタンと何かが倒れるような音がして、皆がざわめき出しました。見ると、背の高い中年の男性が倒れたまま気を失っています。山谷界隈で、通称「松っちゃん」と呼ばれている人でした。
ひと口に山谷労働者と言いましても、力の強い者を頭に、階級序列ができ上がっています。たとえば寒い冬など、皆で焚火をしながら夜明かしする時でも、薪になる木切れや段ボールなどを持って来ることができなければ、仲間に入れてもらえません。いじめは、学校だけにあるわけではありません。
その晩、集会に来ていた兄弟から聞いた話では、松っちゃんは力の強い者から焚火の中に突き倒されて、顔じゅう大火傷してしまったということでした。傷口からは、たちまち破傷風菌が入ったとみえます。その毒で全身がむくみ、唇もラッパのように膨張してしまって閉じることができません。これほど惨めな姿があるでしょうか。この体では、今晩越せるかどうかわかりません。
居合わせた長老と二、三の兄弟は、松っちゃんの強い悪臭に辟易して、近寄ろうとせず、会堂の中に運び込むのを手伝おうとしません。それどころか、「臭い」と言って逃げ出しました。小柄な私一人の力では、大きな体の松っちゃんを引っ張ってくることはできそうにありません。どうしよう。この人は、このままでは死んでしまうと思い、胸が一杯になって思わず叫びました。
―主よ!私に、あなたの憐れみの愛を与えてください! 主よ―っ!―
そのとたん、体の中から思いがけない力が湧いてきて、一人で彼の袴首をつかんで会堂の真ん中にまで運び込むことができました。まさに「精神一倒何事か成らざらん」何でも望むことは、たったひとことでいい。魂の底から叫び求めるなら、それは燃え上がる祈りとなって神の御前に到達し、応答がいただけるのです。
松っちゃんの顔を恐る恐る覗き込んでいる長老に、松っちゃんの体を洗うためのお湯を沸かすように頼み、汚れきった服を脱がせようとしましたが、意識を失っている大男の服を脱がせることは、むずかしかったです。しかたありませんので、思い切って服をはさみで背中のほうから切り開いて脱がせ、まず上半身を洗いました。
両手も火傷しており、肉がただれて固まってしまいましたため、排泄物の始末ができなくなっていました。それで、体の前も後ろも垢に加えてカチカチに固まった大便がこびりついており、洗い流そうとしても落ちません。脱がせた靴下の中からも、便の固まりがポロポロ出てきました。
(ああ、どうしたらいいんだろう)
泣きたい気持ちを必死でこらえて、もう一度「主よーっ!」と叫びました。すると主は、この汚れは、石鹸をつけたたわしでこすれば落ちる、という知恵をくださいました。早速そのようにしてみました。11月の寒い晩でしたが、二時間かけて洗っているうちに、松っちゃんの体に赤みが射してきました。はからずも、全身マッサージをしたのと同じ効果が出て来たのです。
当時は、男物の衣類をいろいろなところから送っていただけるようになっていたのですが、あいにく皆に分配した直後で、一枚も残っていませんでした。女性用の下着しかありませんでしたが、上からは見えませんし、暖かければいいと思って着せました。植物状態の夫を六年近く介護し続けてきましたので、こういう手当てはお手のものです。神は、主人を通して、山谷伝道の訓練をさせてくださったのだと、この時はっきりわかりました。
松っちゃんは、目を開けることはできませんでしたが、意識は回復しかけてきました。耳元で、「何日食べてないの?」と聞くと、「五日間、水一滴も飲まず、何も食べてない」と言います。まさに、死の寸前でした。
―神様、どうかこの人の魂を救ってください。―
祈りながら重湯を作り始めました。悲しくて、悲しくて、やり切れませんでした。それと同時に、このようにして奉仕させていただけるという感謝が、喜びとなってぐんぐん湧いてきました。私は27年間、来る日も来る日も、このような奉仕を続けてきました。でも、してあげているのではありません。させていただいているのです。
「受けるよりは与える方が、さいわいである」(使徒20・35)
この真理が心の中に働くようになりましたら、与えて、与えて、与え尽くすことです。神様はその何十倍もの祝福を刈り取らせてくださいます。
私は韓国にいた頃よくやりましたように、鍋で焦がしたごはんに、米のとぎ汁を少しずつ加えて、どろどろに煮込みました。この重湯は、ミルクの何十倍も栄養があっておいしいです。そして、松っちゃんのラッパのようにむくんだ口びるを左手で開けますと、丼に入れましたその重湯を一時間かけて、飲み込む必要もないくらいに少しずつ小さじで与えていきました。彼は、重湯がわずかにおなかに入っただけで、とたんに目をパッチリ開けました。
(ああ、この人は助かった。生かされたのだ)
うれしくてなりませんでした。
「松ちゃん。イエス様を信じなさい。すべての罪が赦され、清められるのよ。そして、永遠の生命が与えられて、栄光に輝く天国の民として受け入れられるんですよ」
松ちゃんは話すことができませんが、両眼から涙をぽろぽろと流しています。私も、もらい泣きをしながらお祈りをしますと、彼の心は清められたらしく、土気色をしていた顔に赤味が射して、生き生きしてきました。
「イエス様を信じますか」
かすかにうなずくのをしっかり見届けて、神に感謝しました。それまでの疲れなど吹っ飛んでしまいました。しばらくしますと、松ちゃんは起き上がれるようになりました。
「ね、松ちゃん。今日は冷え込みがきついから、旅館(簡易宿泊所)に泊まりなさい」
「でも、皆が野宿してるのに、自分だけ旅館に泊まるのは嫌だ」と言います。私は、彼の服のポケットに、無理やり宿代を突っ込んでやりました。翌朝、松ちゃんは公園で凍死していました―。断腸の思いとは、このことです。
しかし松ちゃんは今頃天国で、ラザロのようにアブラハムのふところで憩わせていただいていると信じます。
逆に、たとえ一国の王様、大統領であっても、イエス様を信じない人は、必ず永遠の地獄に行かなければならない定めにあります。ですから、イエス様を信じた人は、たとえ乞食であろうと、イエス様を信じない王に勝ります。彼らは、永遠に輝く天国に住むことができるからです(続きはこちら)。
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(本文は森本春子牧師の許可を得、「愛の絶叫(一粒社)」から転載しています。)
森本春子(もりもと・はるこ)牧師の年譜
1929年 熊本県に生まれる。
1934年 福岡で再婚していた前父の養女となる。この頃、初めて教会学校に通い出す。
1944年 福岡高等簿記専門学校卒業。義母の故郷・釜山(韓国)に疎開。
1947年 1人暮らしを始め、行商生活に。
1947年 王継曽と結婚。ソウルに住み、三男二女の母となる。
1953年 朝鮮戦争終息後、孤児たちに炊出しを続け、17人を育てる。
1968年 ソウルに夫を残し、五児を連れて日本に帰る。
1969年 脳卒中で倒れた夫を日本に連れ帰る。夫を介護しながら日本聖書神学校入学。
1972年 同校卒業、善隣キリスト教会伝道師となる。山谷(東京都台東区)で、独立自給伝道を開始する。
1974年 夫の王継曽召天。
1977年 徳野次夫と再婚。広島平和教会と付属神学校と、山谷の教会を兼牧指導。
1978年 山谷に、聖川基督福音教会を献堂。
1979年 この頃から、カナダ、アメリカ、ドイツ、韓国、台湾、中国、ノルウェーなどに宣教。
1980年 北千住(東京都足立区)に、聖愛基督福音教会を献堂。
1992年 NHK総合テレビで山谷伝道を放映。「ロサンゼルス・タイムズ」「ノルウェー・タイムズ」等で報道され、欧米ほか150カ国でテレビ放映。
1994年 「シチズン・オブ・ザ・イヤー賞」受賞。
1998年 「よみがえりの祈祷館」献堂。
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