フィンランドの教育
私はフィンランドで、感心したことが多々ありました。フィンランドはとても美しい国で、北極圏に位置した国です。人口はわずか520万人で、大阪府の人口より少し少ないほどです。しかし、土地面積の広さは日本の九州を除いた、北海道、本州、四国の面積ほどで、高い山がなくフラットとなっています。そこに520万の人々が散っているので、人の数は本当にわずかな森と湖の国です。国土の69%が森林で、15万個の湖、18万個の島々があります。私が行きました北極圏に近いある町は、人口1万人ぐらいの小さな町で、真ん中に教会がありました。いわゆるおとぎの国、絵で見るような町が至る所にあり、まさしく白鳥の湖でした。
そのフィンランドは児童能力共通テストPISA(OECD加盟国の生徒の学習到達度調査)で世界第1位になりました。日本は14位ですが、子どもたちの多くは塾や受験戦争に追われ一生懸命勉強しています。私が驚いたことのひとつは、平均的フィンランド人が日本では管理職クラスぐらいの能力があるのではと思ったことです。少しオーバーに聞こえるかもしれませんが、「この人たちが日本に来たら、相当の仕事をするだろうな」と思いました。仕事能力が高いのです。彼らは詰め込みではなく、思考力を養い、物事を考えさせ、なぜか考え、そして落ちこぼれをつくらないようにしています。分からない子には分かるように、教師がその子に合った内容で教育を施すという教育です。しかし、よく見てみると、これは「ユダヤ式教育」そのものです。フィンランドは国が小さいので実践しやすいかもしれません。日本は1億2600万人もいる人口が多い国です。確かに国が小さいからできるといえるかもしれませんが、聖書が教える教育の原則を知るならば、このように素晴らしい成果が出ていることを確認しました。
思考能力を養う教育
ユダヤ人は、思考能力を養う教育を重視します。その教育は発想力を育てます。簡単に言えば、ひらめきです。ユダヤ人はピカッと光るひらめきが来て、発想がわく分野に活躍している方が多いと思います。ですから、ノーベル受賞者の中にユダヤ人が非常に多いということです。ご存じのように、欧米社会では18世紀までユダヤ人たちはゲットーなどに閉じ込められ、隔離され制限された状況に置かれました。18世紀に入ってから、ユダヤ人は次第に開放されるようになりました。彼らはそれまで蓄えていた力と能力を、堰を切ったように発揮しました。そしてユダヤ人は新しい分野に大胆に進出し始めました。
例えば、量販と安売りはユダヤ人が考え出したものです。近代的な流通業の先駆者です。デパートもユダヤ人が作り出したものです。一つの屋根の下で、異なった商品を売るという発想は、ユダヤ人が始めました。ユダヤ商人は質が多少低くても、大衆が大量に買う商品を作り売りました。これは今日珍しいことではありません。私たちの今の社会では当たり前ですが、当時18世紀の初めはキリスト教徒をはじめ、このような発想は持てませんでした。それまで、ヨーロッパ社会では靴屋は靴屋、鍛治屋は鍛冶屋、鍋は金物屋というように専門店制がとられていました。ですから、ある程度の物をそろえようと思ったら、いろいろな店を回らなければならないのが一般的で、それが当たり前という社会でした。
ユダヤ人たちは、このようなマイナス要素を逆手に取り、考え出したのがデパートです。デパートであれば、それまでのように最初は肉屋、次は洋品店、そして次は何々の店というように軒ブラ回る面倒は不要です。一つのお店で買い物ができる。また商品を大量に仕入れるため、それだけ単価を下げることもできます。今考えれば当たり前のことですが、この発想をユダヤ人が最初にしました。ヨーロッパやアメリカのデパート創始者はユダヤ人です。デパートという概念は、専門店制度の枠からはじき出されたユダヤ商人が、商売するために考え出したアイデアといえましょう。
一方、ユダヤ人は非常に迫害された民族です。迫害、苦しみ、圧迫を受けた彼らがパイオニア的役割を果たすことが多かったのです。では、なぜ彼らはパイオニア的発想をすることができたかといえば、彼らが学び蓄えた教育に基づく「発想力」に秘訣があるからです。例えば、商品を広告することは今でこそ当たり前です。どのような会社でも会社案内はありますし、新聞を取れば毎日のように多数の広告やパンフレットが入っています。これもユダヤ人が始めました。もっとも18世紀のヨーロッパではフランスをはじめとして、ショーウインドーを設けたり、あるいはビラを貼ったり、商品を宣伝することを禁じた国々が多かったのです。広告や宣伝が不道徳と見なされていたのです。このようにしてユダヤ人は、中世の封建制度、封建的な経済を破壊して、近代資本主義をもたらす上で大きな役割を果たしました。
彼らはゲットーに住んでいました。私が住んでいたトリアにもゲットー跡があります。ゲットー内の道路は1メートル半から2メートルぐらいの狭い幅です。そこに彼らが入れられた石作りのゲットーがあります。窓は50センチか60センチぐらいで小さく、家は古いので傾いています。彼らはそのような小家に押し込まれ、夕方になるとゲットー門が閉められ、ユダヤ人は出入りすることが一切できませんでした。ですから病人が出た、赤ちゃんが産まれる時には大変困りました。当時ユダヤ人女性が産気付いても、彼らに手を貸してはいけないという法律がありました。ですから、彼らは自分たちの力で生きていかなければならないという環境に置かれていました。彼らほど圧迫や苦しみを受けた民族は少ないと思いますが、彼らはめげず、倒れませんでした。なぜでしょうか。彼らは雑草のように踏まれても強い民です。
そう考えると、ユダヤ商人たちはどれだけ外からの攻撃を受けても、新しい企画を考え出したりする発想力があります。今日で言う、顧客のニーズを何よりも優先させているということです。彼らは顧客のニーズ、客が何を求めているかをすでに数百年前から察知し、実践に移していました。ユダヤ人は幼い頃からタルムード的な、独特な発想力が鍛えられています。世界に離散してからも、彼らはその土地の文化、伝統、社会的制約によって縛られず、自由な発想を行うようになってきました。これがユダヤ人たちの興味あるポイントです。
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黒田禎一郎(くろだ・ていいちろう)
1946年、台湾・台北市生まれ。70年、ドイツ・デュッセルドルフ医科大学病院留学。トリア大学精神衛生学部、ヴィーダネスト聖書学校卒業。75年、旧ソ連・東欧宣教開始。76年、ドイツ・デュッセルドルフ日本語キリスト教会初代牧師就任。81年、帰国「ミッション・宣教の声」設立。84年、グレイス外語学院設立。87年、堺インターナショナル・バイブル・チャーチ設立、ミニスター。90年、JEEQ(株式会社日欧交流研究所)所長。聖書を基盤に、欧州情報・世界 情報、企業講演等。98年、インターナショナル・バイブル・チャーチ(大阪北浜)設立、活動開始。01年、韓日ワールドカップ宣教GOOL2002親善大使として活躍。著書に『世界の日時計』(Ⅰ~Ⅲ)、『無から有を生み出す神』『新しい人生』『愛される弟子』『神のマスタープランの行くへ』『ヒズブレッシング』、韓国語版『聖書と21世紀の秘密』、中国語版『神の聖書的ご計画』他訳書あり。