キリストの胸の内
しかし、よくこの「マタイの福音書20章20~28節」を見ると、キリストはそのようにアプローチをされていません。それは「キリストの胸の内」に何かがあったからです。聖書には次のように書かれています。「『あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか』。彼らは『できます』と言った」(20章22節)。聖書を初めて開いた方は、これがどのような意味か分からないかもしれません。この「杯を飲む」とは、受難の杯ということです。キリストはこの後捕らえられ、そしてエルサレムで十字架付けにされ殺されます。このキリストが受ける苦しみのことを受難といいます。これを杯に表しています。「杯を飲む」というのはヘブル的な表現です。
次にイエスの応答があります。「あなたがたはわたしの杯を飲みはします。しかし、わたしの右と左にすわることは、このわたしの許すことではなく、わたしの父によってそれに備えられた人々があるのです」(23節)。ここに大きなギャップがあるのにお気付きになられたでしょう。母サロメと弟子たちは内側にある欲で満ちていました。すなわち心中は、「右大臣にしてくれ。左大臣にしてくれ。パラダイスに入ったら最高の地位に置いてくれ」でした。また他の弟子たちの心中も、「弟子たちの中では誰が一番偉いか。私こそ一番弟子だ」という私欲でいっぱいでした。しかしイエスの胸の内は、自分は間もなく捕らえられ、十字架にかけられ両手両足をくぎ付けにされ、頭にイバラの冠をかぶせられ、胸はやりで刺され、多くの人々から侮られて殺されていくという受難で一杯であったでしょう。キリストは、ご自分の受難を予知していました。キリストの目前には大きな受難が待っていました。これこそ受難の杯でした。
すなわち「わたしの杯を飲むことができますか」と聞かれた時に、彼らは「できます」と答えました。確かにキリストが言われたように、分かっていなかったのです。私たちは多くの場合、分かっていなくても分かっているような返事をすることがあります。残念ながら、私たちは人間ですから全てのことを知り尽くすことはできません。
イエスの応答は、「あなたがたはわたしの杯を飲みはします。しかし、わたしの右と左にすわることは、このわたしの許すことではなく、わたしの父によってそれに備えられた人々があるのです」(23節)でした。すなわち天の父によって備えられた人だけが、杯を飲むことができるのです。みんなが杯を飲むわけではありません。
では、ここでキリストは何を教えられたのでしょうか。イエス・キリストは、この弟子たちをどのように対処されたでしょうか。もしあなたの部下が、あなたの言われることを全く理解せず的外れのことを言い、何度説明しても理解してくれないとします。しかも自分はパニック寸前に置かれるぐらいの大問題を抱えている時、あなたは部下にどのようにアプローチしますか。会社における上司と部下、または経営者と従業員の間のギャップはどの社会にもあります。私は、キリストが彼らに教えられた「教え方アプローチ」を通し、大切なポイントを学ぶことができると思います。三つのポイントです。
■ キリストの人材教育: (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)
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黒田禎一郎(くろだ・ていいちろう)
1946年、台湾・台北市生まれ。70年、ドイツ・デュッセルドルフ医科大学病院留学。トリア大学精神衛生学部、ヴィーダネスト聖書学校卒業。75年、旧ソ連・東欧宣教開始。76年、ドイツ・デュッセルドルフ日本語キリスト教会初代牧師就任。81年、帰国「ミッション・宣教の声」設立。84年、グレイス外語学院設立。87年、堺インターナショナル・バイブル・チャーチ設立、ミニスター。90年、JEEQ(株式会社日欧交流研究所)所長。聖書を基盤に、欧州情報・世界 情報、企業講演等。98年、インターナショナル・バイブル・チャーチ(大阪北浜)設立、活動開始。01年、韓日ワールドカップ宣教GOOL2002親善大使として活躍。著書に『世界の日時計』(Ⅰ~Ⅲ)、『無から有を生み出す神』『新しい人生』『愛される弟子』『神のマスタープランの行くへ』『ヒズブレッシング』、韓国語版『聖書と21世紀の秘密』、中国語版『神の聖書的ご計画』他訳書あり。