しばらくの間は私達の販売業者が売上に先んじて資金を回してくれましたが、最終的にはその分を販売業者の親会社へ返さなくてはならなくなりました。私達の会社は公式的には破産手続きに入る事はありませんでしたが、販売業者の親会社は未回収金の担保権を行使し、私達の会社の資産のすべてを奪おうとしていました。
この時期は個人的に振り返って困難な時期でした。とても困惑しており、また憤りも感じていました。当初はこのことについて、その販売業者に責任があると考えていました。彼らが私達と交わした約束通りに書籍を販売できていれば、こんなことは起こるはずがなかったと思いました。これは彼らの過ちであると。
しかし最終的に私はこのことを振り返り、この経験から学ぼうとしない限りは前に進めないと思うようになりました。この時期は想像を絶する困難な時期であり、惨めなときでしたが、この時期が私の人生の中に生じたことを今では感謝しています。そこで私はいくつかの決定的な、自分の人生を変えることを学ぶことができたからです。この失敗を体験していなければ、今日の自分は存在していなかっただろうと思います。
しかしすべての失敗がその後うまく働くというわけでもありません。失敗に苦しみ、二度と回復できなくなってしまった人々も存在しています。しかし失敗は、必ずしも回復できないものであるとは思ってはいません。すべてはその失敗をどのようにあなたが捉えるかにかかっているのです。もしあなたが成功し続けたいと思われるなら、失敗から力強く学ぼうとしなければならない-そのことを私は確信しています。
私は失敗を強みに変えるには少なくとも次の要素があると考えています。
失敗を認識する
失敗から学ぶにはまず失敗を認識することから始めなければなりません。私の把握する限り、私は今まで従業員が何か失敗したということが理由で解雇したことはありません。大きな結果を出したいと思って試行錯誤しているときに、失敗するのは自然なことです。問題は失敗したにもかかわらず、その事実を認識できないところにあるのです。
何年か前、私達の期待した結果を出せずに苦しんでいる従業員がいました。このことは確かに問題なのですが、このこと自体が主要な問題なのではありませんでした。問題は、彼が自身の中に「問題がある」と言う事を認識するのを頑なに拒否していたところにあったのです。彼は自分自身をあくまで擁護し続けました。そのようにすることで、彼は私達の会社で「うまくやれなかった」と思うだけにとどまってしまったのです。結果的に、私たちは彼を解雇せざるを得ませんでした。
一度失敗を認識すれば、それを克服する力を得ることができます。そうしてこそ失敗から何かプラスとなるものを生み出すことができるのです。
全責任を取る
失敗の責任を誰かに押し付けている限り、どこへも進展のしようがありません。責任があなたの外にある限り、あなたはただの犠牲者でしかありません。なぜならあなたは他者をコントロールできないからです。あなたがコントロールできるのはあなただけです。
しかし失敗に対する責任を取り、そのことに対して完全に把握しようとするとき、その失敗から新たな道を見い出せるようになるのです。可能性の扉を開き、将来に対する違う結果を創出できるようになるのです。しかしそれはあなたが失敗を認識し、それを自分自身の責任として消化するときにのみ可能になります。
失敗を嘆く
私は何もあなたに対してただ失敗に対して楽観的な態度を取るべきだとは言っていません。失敗は心を突き刺すものです。ときに心の奥深くに突き刺さります。本当に深刻な損失となる失敗が多くあるものです。そしてその失敗の巻き添えとなる被害が生じ、他者をも傷つけることがあるでしょう。時にはその失敗のせいで罪なき人々をも傷つけてしまうようなこともあるでしょう。
このような出来事が生じてしまったことについて悲しみを感じることは問題ないことです。時にはこのような失敗を感情的に克服するのに時間がかかることもあるでしょう。1990年代初めに生じた金融危機による失敗では、私は数週間嘆き苦しみました。そんなにすぐに失敗した経験が心の中から流れ去ってくれるものではありませんでした。事実、私が比較的早く失敗から立ち直れた原因は、そのときとても深く嘆き苦しんだからだと思っています。失敗したすべてのことについて深く考えきることで、それを後ろに追いやることができたのです。
経験から学ぶ
もし失敗から学ぶことができれば、その失敗は無駄にはなりません。失敗があなたのキャリアの終わりとなる必要はありません。事実、あなたが失敗から取り入れるべきすべてのことを絞りとる時間を持つことができるなら、そのような失敗はあなたのキャリアに役立つものとなるでしょう。
正直に言えば、世の中では失敗なしには決して学べないことというものがあるのです。痛みというのは力強い教師の役割を果たすものです。
もし私たちがその失敗から学び、次に行動を起こす時にどうするべきかが理解できるなら、私達がより力強く活動するのを促すことになります。「何がいけなかったのか?」と考えるよりも「何を見失っていたのか?」と考える方が有効です。なぜなら、前者においては誰かに責任を押し付けて終わってしまう可能性がありますが、後者の問いにおいてはそこから何かを学べる可能性が開けているからです。
行動の仕方を変える
米哲学者のジョージ・サンタヤナは「歴史に学ばない者はそれを繰り返すことになる」という格言を遺しています。もし私たちが失敗から学ばず同じことを繰り返すようであれば、私たちはさらに深刻な過ちを犯す様に運命づけられているのではないでしょうか。私たちは積極的に変化しようとしなければなりません。私たちが行動を起こすことですべてが始まっていきます。これは私達が克服しなければならない課題なのです。
次のプロジェクトに新たな心で取りかかる
失敗があなたの次の事業の足かせとなるようになってはいけません。馬や自転車から転げ落ちたのならば、早く乗り直さなければなりません。そうできないならば、失敗の経験があなたの精神の中で増幅していきます。そうなってしまうと、過去に取り付かれ、決して前へ進めなくなってしまいます。
再度言いますが、もしあなたが大きな目標を定めてそれを実現しようと行動をされているのならば、失敗は避けようのないことです。失敗があなたにとって益となるようにさせなければなりません。そのようにすることで、最終的な成功の種を蒔くことになるのです。
トーマス・ネルソン 会長(前CEO) マイケル・ハイアット氏
トーマス・ネルソンは世界最大のキリスト教書籍出版会社である。米国内では書籍出版貿易で第7位となっている。同氏のブログ(http://michaelhyatt.com)では、指導者として必要な福音的思考法やウェブサイトによる効果的なビジネス法、出版業界に関するトレンドなどを紹介している。